スズキはなぜ、インドで高いシェアを持っているのか?
今回はスズキが発売するインド製小型SUV、フロンクスの試乗記……なのだが、フロンクスの話に入る前に、スズキとインドの関わりについて少々。
スズキがインドで大きなシェアを持っているのはご存じの通り。1980年代初頭。インド政府は自国の自動車産業を発展させるため、海外の自動車メーカーと提携して安価で良質な国産車の生産をもくろんでいた。当時のインドはいわゆる「発展途上国」で、大衆向けの「安く」「燃費が良い」クルマが必要とされていたのである。しかし当時のインドには満足な自動車メーカーが存在しなかった。
そこでインド政府は複数の海外自動車メーカーに提携を打診し始めるのだが、電力供給(よく停電した)や道路網(未舗装で穴だらけ)等のインフラの不安や、インド市場の不確実性から、どこの会社からも色よい返事を引き出すことができなかった。そりゃそうでしょう。なにしろ1980年代のインドである。インフラが未整備の上に政情はガタガタで、経済も停滞気味。更には宗教間の対立や分離主義運動など、外国企業が進出するには、あまりにもリスクが高い状況だったのだから。
昨年末に亡くなった、鈴木修会長の英断
読者諸兄は覚えておいでかどうか。1984年にはインド軍が黄金寺院に立てこもるシーク教過激派を襲撃して、500人以上が死亡した「黄金寺院事件」が起きたりもした。かように物騒な国から提携を提案されても、そりゃ腰が引けますわな。各自動車メーカーが二の足を踏む中、ただ一人手を挙げたのが、昨年のクリスマスに天に召された鈴木修氏である。
氏はインド市場の将来性にいち早く目を付け、「インドには自動車産業のインフラが整っていない。ならば自分たちがゼロからつくり上げればいい」とインド政府との提携に乗り出したのである。勇猛である。果敢ではないか。
スズキがインドで最初に生産したのは、燃費が良く価格もお手頃な「マルチ800」である。日本で既に発売されていたアルトをベースに、旧軽規格の550ccエンジンを796ccの直列3気筒エンジンに換装し、インドのガタガタ道に合わせてサスペンションや車体を強化し、インド市場が望む「安く」「燃費が良い」クルマをつくり上げた。
マルチ800は売れに売れ、都市部や農村部を問わず、広くインド人に受け入れられ、「インド初の国民車」として社会に大きな影響を与えたのである。
鈴木修氏のたぐいまれなる先見性、リスクを恐れぬチャレンジングな姿勢が成功の鍵と言えよう。本当の名経営者だった。合掌。