小説・昭和の女帝#22Illustration by MIHO YASURAOKA

【前回までのあらすじ】「昭和の女帝」真木レイ子は、岸信介内閣で初の女性副総理秘書官となり、番記者が付くほど力を付けていた。だが、そんな彼女でも、政財界のフィクサーである鬼頭紘太からの頼みは断れない。ある日、鬼頭はインドネシア大統領と“お見合い”をする日本人女性の介添人の役をレイ子に依頼した。(『小説・昭和の女帝』#22)

19歳の志穂子は、大統領を相手に堂々と渡り合ったが…

 インドネシアの大統領と日本人女性の“お見合い”が行われる帝国ホテルは、その年の1月に鬼頭紘太が取り仕切った政治的な密約の舞台でもあった。岸信介が総理大臣の座を党人派の大野伴睦に譲り渡すことを約束する一方、当面、岸内閣の存続に協力することを合意させるもので、誓約書には河野一郎や佐藤栄作も署名した。その立会人が鬼頭だった。

 組閣当初、鬼頭を必要としなかった岸だったが、党内の求心力は弱くなる一方で、いまでは鬼頭を頼るようになっていた。警察官の職務権限を大幅に強化する法改正を試みて国民から反発を受け、支持率が低迷し始めたころから、政権安定のための裏工作をするのに鬼頭が欠かせなくなった。

 まして、岸がこれから行う日米安全保障条約の改定は、鬼頭のようなフィクサーが暗躍する絶好の機会だ。鬼頭は政治力を回復するだけにとどまらず、第二の絶頂を迎えていた。

 密談が行われたのと同じフロアで、鬼頭は今日、十代の女性をインドネシアのスカルノ大統領にあてがう。鬼頭から介添人の役を頼まれたレイ子から見れば、田村志穂子は貢ぎ物にされるに等しかった。

 志穂子は貧しい家庭に育った。16歳のとき父が他界。彼女は母と弟を養うため、中学卒業後に就職した。芸能界で成功するため、歌やダンスなどのレッスンに励んだが芽が出ず、ホステスとして働いていたことも十代のころのレイ子と共通していた。

 レイ子が下見のために7階の部屋に入ると、むせ返るほどの甘い香りが充満していた。廊下にはみ出すほど生花が並び、その奥で、インドネシアのお香が焚かれていた。

 レイ子はロビーフロアに降り、ラウンジで志穂子と会った。少女漫画の主人公のような大きな瞳をした美女で、ミステリアスな笑みをたたえていた。コパカバーナから選抜されたのだから、そこそこの修羅場はくぐっているのだろう。レイ子を前にしても臆することがなかった。

 レイ子は「衆議院議員秘書」として自己紹介すると「あなたなら大丈夫そうだけど、とにかく毅然としていることよ。愛人なんかじゃなくて、正妻の候補として振る舞うべきだわ。インドネシアは一夫多妻制でしょ」と言い、誰にも聞こえないように「夫人を目指さないなら、すぐに逃げたほうがいい。おカネのために嫌々ここにいるなら、やめておきなさい。私がなんとかするから」とささやいた。

 志穂子は一瞬だけ考えるようなそぶりを見せたが、すぐに「ありがとうございます。私なら大丈夫です」と、覚悟を決めたように言った。