卑弥呼神社の卑弥呼像卑弥呼神社の卑弥呼像 Photo:PIXTA

卑弥呼を日本の初代女王と
報じたNHKの歴史番組

 以前、「日本の初代女王だった卑弥呼」という表現がNHKの歴史番組で放送されて愕然(がくぜん)としたことがある。現在の日本国家の継承性があるかどうかではなく、中国に使節を送っていたかどうかで、日本国のはじまりとしようというのだから困ったものだ。

 邪馬台国や卑弥呼が有名になったのは戦後、だいぶたってからのことだ。中国の史書に卑弥呼という女王が紹介されていることは『日本書紀』の編纂者たちも知っていた。それゆえ「一書に曰(いわ)く」という形で「もしかすると卑弥呼とは神功皇后のことかも」とした。『日本書紀』の編纂者は卑弥呼を無視はしなかったものの、大和朝廷の記憶にまったくなかったので、あくまで「参考」にとどめたのだ。

 ところが、戦後、万世一系を否定したい人たちの間で、天照大神や神功皇后に代わるスターとしてクローズアップされ、アンチ天皇制のシンボルになった。

 中国の史書は、中国の都でいつ何があったか、どんな報告があったかはかなり正確だが、報告の中身が正しいとは限らない。文字も伝わっていなかった時代に卑弥呼が手紙を書いたはずもない。使節が皇帝に拝謁するのに手紙がいるので、中国に着いてから中国人が用意したものだろう。

 そもそも、卑弥呼は飛鳥時代の日本国家の記憶に存在しなかったのだから、初代女王でもないだろう。

 邪馬台国は3世紀に大和で統一政権が崇神天皇によって成立する少し前に、九州あたりにあった小王国で、四世紀に大和朝廷の力が北九州に伸びた頃には滅びていたということであれば、『日本書紀』『魏志倭人伝』など中国の文献、考古学的な成果のいずれも無理なく整合する。

 したがって、日本の教科書では「中国の史書では卑弥呼と呼ぶ女王が使いを送ってきたと書かれているが詳細は不明である」と書けば十分なはずだ。