ところが、戦後の歴史教育や歴史教科書から一時期、坂本龍馬の名前が消えることになります。坂本龍馬だけではありません。幕末の志士たちの活躍が消えたと言ってもよいかもしれません。
見直されて歴史教科書に再登場
復刻された「人物の活躍による歴史」
《幕府の新政策と併行しつつ、反幕府派の陣営では薩長の緊密な連合が成り、討幕運動の線で國内統一の動きが急速な進行をみせた。さらに土佐藩も二藩の運動に接近し、三藩は密接な連絡をとるに至つた。
薩長二藩は武力的討幕を固守したが、土佐藩は幕府を含めた朝廷中心の合議的連合新政権の樹立を劃策した。かくて複雑な政爭の間に、土佐藩は1867年(慶應3年)10月14日幕府をして大政を奉還させたのである》(『日本史概観』山川出版社・昭和25年発行)
高校の教科書などはこのように坂本龍馬はもちろん、この時期の記述の中で現在の教科書では一般的に登場する岩倉具視や西郷隆盛、木戸孝允、山内容堂、徳川慶喜などの名前を極力記載しなくなりました。
また、戦前の国定教科書もそうですが、「薩長同盟」「大政奉還」という歴史用語が使用されていないこともわかります。「薩長同盟」という術語ではなく、「仲良くなりました」「薩長の緊密な同盟」という表現です。
浮世博史 著
人物中心のかつての歴史著述を改めて、社会科学的に歴史を説明しよう、という流れが戦後生まれたことは確かです。
しかし、昭和30年代に入ると、再び「人物」が教科書に登場するようになります。
《土佐藩の尊王攘夷派を代表する坂本龍馬・中岡慎太郎らの藩士は、薩・長両藩の間を説き、1866年(慶応2年)1月、薩長連合の密約を成立させた》(『高等学校社会科日本史』中教出版)
もちろん、これは司馬遼太郎の『竜馬がゆく』が世間に知られる前の「変化」で、「人物の活躍」によって歴史がつくられてきた、という説明が復刻された(思い出された)と言うべきかもしれません。