サイバーエージェントは93%暴落
大企業も破綻寸前まで追い込まれる

 上場記念パーティーには小室哲哉氏、つんく氏、浜崎あゆみ氏など、業界を代表するそうそうたる顔触れがそろい、大いに話題を呼んだ音楽系ビジネスの旗手の転落は早かった。当時の社長がいわく付きの人物で、IPOから1年もしないうちに暴行事件などに関連して逮捕されてしまったのだ。さらに暴力団との関係なども取り沙汰され、さまざまな憶測が飛び交うことになった。

 その後、数度の商号変更と度重なるピボット(事業転換)、無謀な資金調達を繰り返して「クソ株」の代名詞的な存在へと成り果て、社名「ニューディール」時代にあえなく上場廃止を迎えている。草創期の新興市場に登場した企業には不正や粉飾に手を染めたものが多数あったが、第1号案件であったリキッド・オーディオ・ジャパンからしてそうであったということが当時の無秩序ぶりをよく示していたといえるであろう。

 このようにして始まった東証マザーズが、翌00年には早々にドットコムバブルの崩壊とともに大暴落に見舞われたことは歴史の必然であったかもしれない。有名な「光通信の20営業日連続ストップ安記録」もこの時に生まれている。ただ誠に残念なことに、マザーズ指数の算出開始が03年9月16日であるため、この間の波乱はチャート上には記されていない。

 代替としてサイバーエージェントの株価推移を見てみると、上場した00年3月に記録した165.4円(分割前の当時の株価で1699万円)が天井となり、同年10月には12.0円まで急速に下落。そこからいったんは反発したが、大底となる03年5月に再度11.0円の安値を付けている。

 93%という下落率もさることながら、3年間も下げ続けたという期間の長さの方が投資家に対する影響の度合いとしてはより深刻だったに違いない。リアルタイムを生きる投資家にとり、3年という月日は体感的にはほとんど永久に近い長さを持つ。まず普通の人間には希望を抱き続けることなど困難であろう。

 同時期、日本株全体もまた苛烈な下落局面にあった。日経平均株価は00年4月の2万833円を頂点に、03年4月には7603円まで暴落。

 今では就職人気トップの総合商社が冬の時代と呼ばれて敬遠され、銀行は終わりの見えない不良債権の処理に苦しみ、生き残りを懸けて死にものぐるいで増資や合併に奔走。後に新日本製鐵と「世紀の大合併」と呼ばれる統合を果たす住金こと住友金属工業の株価は、50円を割り込んで破綻もうわさされていた。それが夜明け寸前の光景である。

荒廃し切った市場にデイトレーダーが登場
上げ相場では無知こそが最大の武器となる

 未来から過去をのぞき込む者は、無責任にもそれを「厳寒期」などの一語で表すのだろうが、当代の人々にとってその期間はまさしく筆舌に尽くし難い受難の日々であった。強気相場は悲観の中に生まれるというが、悲観も尽き、絶望すら通り過ぎて無に達するほどの下げ相場を経たからこそ、後の爆発的な上昇につながったのだと考えられる。

 こうして荒廃し切った市場にさっそうと現れた、デイトレーダーと呼ばれた開拓者たちが目覚ましい勝ち星を挙げていくのは当然の帰結であっただろう。

 なぜならば、彼らは過去の陰惨な記憶にとらわれず、デイトレという真っさらなフロンティアに純真な希望を見いだすことができた。また、リスクを取れば報われるということに何ら疑問を持たなかった。

 いつの時代も常識外れのリターンをたたき出すのは恐れを知らぬ若者であり、かつての私がそうであったように、上げ相場では無知こそが最大の武器となるのである。

 一面を分厚い銀白に覆われた大地にもいつしか若芽が顔を出すように、03年の前半という時期は、まさにバブル崩壊後の長い停滞から日本市場が雪解けを迎える瞬間だった。黎明(れいめい)期に成功したデイトレーダーたちがその象徴的な出来事として口々に語るのは、5月の「りそな銀行国有化」だ。

 これを機に不良債権問題という負の連鎖にとうとう終止符が打たれ、日本経済が再生への道を歩み出す。実際、みずほFG(フィナンシャルグループ)の株価は安値583円から3年で1万300円へと17.6倍に、三井住友FGも539円から4633円まで8.58倍となるなど、銀行株は相場の主役かつ日本株復活のシンボルとなった。著名トレーダーのぱりてきさす氏も、この銀行株の上げに全力で乗ったことで資産大幅増の足掛かりをつかんだと語っている。

3メガバンクの看板2003年5月のりそな銀行国有化により日本株が底打ち。特に銀行株が大きく上昇した Photo:Tomohiro Ohsumi/gettyimages

 トレンドは、それまでの動きが長く続けば続くほど、反転した際のエネルギーも大きなものとなる。日経平均は04年4月には1万2195円まで戻し、1年で60%もの大幅上昇を演じた。

 そこから翌年の夏までは横ばいが続いたが、これも07年2月の1万8300円へとさらに50%上昇するための踊り場に過ぎなかった。その絶好の押し目の時期に「なんとか間に合った」のが私というわけだ。もちろん、ド素人にはそのような恵まれた地合いの上に立っているという自覚はみじんもなかったのであるが。

 このドン底からの大復活という最高の時期にオンライントレードが登場したのか、それとも反転のきっかけをつくったのがオンライントレードの登場だったのか、その順序の正誤は分からない。

 ただ一つ間違いないのは、整理され切った需給に無垢(むく)な資金が入り込んだことで、美しい信用創造の好循環が回り始めたということだ。これほど見事にかみ合った上げ相場に立ち会えた投資家は、それ自体が一生に一度あるかないかの幸運であったように思われる。

 こうしてあまたの投資家の屍を肥料として、大相場を育て上げる土壌は整った。そこに大輪の花を咲かせたのは、幻滅期を乗り越えて社会実装を本格的に迎えたインターネット関連株だった。

【プロフィール】
かたやま・あきら/1982年生まれ。2005年に65万円で株式投資を始め、17年には資産140億円に到達。その後はヘッジファンド運営、事業投資、スタートアップ投資に活動の幅を広げ、近年は自己資金の運用に加えてディーリング事業を立ち上げ、後進の育成も積極的に行っている。現在の総資産は約160億円。