「報道機関が存在できるベースは信頼関係」
「TBSは今日、死んだに等しいと思う」

 30年前の大事件とは、「坂本弁護士一家殺害事件」の端緒となった「TBSビデオ問題」である。当時、オウム真理教を批判していた坂本堤弁護士を、TBSのワイドショーがインタビュー取材したのだが、その取材ビデオを放送前にオウム幹部3人に見せていたのだ。

 ワイドショーのプロデューサー2人がビデオを見せたのが1989年10月26日の深夜で、殺害事件は11月4日に起きている。当時は一家行方不明の失踪で、同教団の関与が当初から疑われていたが、確証がなく、ほぼ迷宮入りした。

 6年後の1995年3月20日、「地下鉄サリン事件」が起きる。死者13人、負傷者約6300人という未曽有の無差別テロ事件だった。霞ケ関駅の職員がサリンの入った袋を処理して犠牲となったのはよく知られた話だが、他にも多数の乗客や救助に当たった人なども被害を受けた。

 ちなみに当時のダイヤモンド社は霞が関1丁目にあり、最寄り駅が千代田線・霞ケ関駅だった。筆者はこの日、早く出社する予定だったが、京葉線の八丁堀駅から日比谷線の日比谷駅を経由して千代田線に乗り換えることができず、外へ出ると大量の救急車とテントが目に入ってきた。ショックでよく覚えていないが、騒然とする都心を歩いて出社した。

 その後、オウム真理教への強制捜査と幹部らの逮捕が進んでいったが、この捜査の過程で「TBSビデオ問題」が浮上する。これが95年9月で、TBSは1カ月後にようやく調査委員会を設置したが、その後も「見せていない」と否定を続けた。社内調査の限界である。

 ところが、10月19日に日本テレビが、「TBSが坂本弁護士へのインタビュー・ビデオを教団幹部に見せていた」と報じて大騒ぎとなる。それでもTBSは「事実無根」として否定し続けた。

 TBSが「社内調査概要」を公表したのが半年後の96年3月11日で、ここでも否定した。しかし、教団幹部によるビデオのメモが3月23日に明らかになり、24日にはプロデューサーが見せたことを認めた。

 当時のTBS社長の磯崎洋三氏が緊急記者会見で謝罪したのが25日。同日夜のTBS系「ニュース23」で、キャスターの筑紫哲也氏は「報道機関が存在できる最大のベースは信頼関係」とした上で、「TBSは今日、死んだに等しいと思う」と語った。

 4月30日に2度目の社内調査概要を公表し、午後7時20分から3時間以上の社内検証番組を放送した。同日付けでプロデューサーは解雇され、5月1日付けで社長、専務、常務3名も辞任した(注1)。