テレビ史で最大の事件
信頼を取り戻すきっかけは...

 新社長は平取だった砂原幸雄氏で、以後、砂原氏がショックで打ちのめされていた会社の立て直し、社員へのケア、ガバナンスの構築を目指した。

 1回目の社内調査概要の公表(96年3月11日)の、翌12日には坂本事件に関する検察の冒頭陳述があり、その際に「ビデオを見せた」という決定的な証拠が出るのではないかと指摘されていた。

 当時、ニュース23のキャスター筑紫氏は、それ以前の段階でTBSの報道局長に3項目のメモを渡していたという(注2)。

「筑紫メモ」を要約すると、第1に「継続審議」。3月12日以前に社内調査内容を放映し、「今までの時点で調べ得た結論」として「継続審議」とすること。

 第2に、「第三者調査委員会」が必要であるとし、社内調査の限界を認識していることを示しておくこと。第3に、「責任の明確化」。筑紫氏によれば、これは当該社員のことではなく、社長を含む経営陣のこと。

 しかし、筑紫メモは通らなかった。TBSの上層部は疑惑の否定に終始し、継続審議どころか「調査はこれで打ち切る」と言い放っていた。

 1996年5月30日、新社長の砂原氏、鴨下信一取締役、鈴木淳生取締役の3人が参議院逓信委員会に参考人招致され、事件の詳細と責任について詳しく述べている。鴨下氏など4人の常務は平取へ降格していた。

 テレビ史で最大の事件といっても過言ではない。振り返ると、筑紫氏の洞察は正しかったということだ。

 筆者が今も記憶に強く残っているのは、テレビドラマの高名な演出家である鴨下氏が会社を代表してニュース23に出演し、筑紫氏の厳しい質問に答えていたことだ。生放送だったので、視聴者を引き込み、信頼を取り戻すきっかけになったように思う。鴨下氏が取締役に就任したのは1993年で、事件発生時の経営者ではない。なお、筑紫氏は2008年、鴨下氏は21年に他界している。

 テレビに限らず他のメディア、他の業界でも教訓となる歴史であろう。

注1:日付など事実関係は「参議院逓信委員会会議録」第10号(1996年5月30日)
注2:筑紫哲也『ニュースキャスター』集英社新書(2002年)p183~p184
【中居正広・フジテレビ問題】TBS即レスの背景に「TBSが死んだ」30年前の大事件テレビキャスターの筑紫哲也さん(中央)。なお、左はキャスターの鳥越俊太郎さん、右はジャーナリストの田原総一朗さん(2005年12月) Photo:JIJI