1973年には、メトロポリタン美術館が窃盗の恩恵を受けることになった。館長の指示により、古代ギリシャの陶芸家エウフロニオスが絵付けした華麗な壺を購入したが、それは明らかに、複数の国境を越えて密輸された断片を組み合わせたものだった。「ホット・ポット」と呼ばれていたこの壺は結局、《ニューヨーク・タイムズ》紙のマフィア担当記者が発表したいくつもの暴露記事により密輸の事実が明かされ、2006年にイタリアに返還された。

度重なる災厄と盗難を経て
この数十年で窃盗事件はゼロ

書影『メトロポリタン美術館と警備員の私 世界中の<美>が集まるこの場所で』(晶文社)『メトロポリタン美術館と警備員の私 世界中の<美>が集まるこの場所で』(晶文社)
パトリック・ブリングリー著、山田美明訳

 1979年から1981年にかけての時期には、災厄が相次いだ。まずは、ヘルメスの頭部に傷がつけられた。その1年後には、10代の若者たちがハンガーを使って、粗悪なつくりの展示ケースからラムセス6世の指輪を奪った(仲間の宝石商が、指輪を返還してほしければ金を払えと美術館を脅迫しようとして失敗し、逮捕された)。その逮捕劇のほんの数日前には、エドガー・ドガの2つの銅像が盗まれたと美術館が発表したのち、すぐにそれを撤回した。

「少々の手違い」があったらしく、銅像が以前もいまも保管室にあることを職員が認めたからだ。そして最後に、ケルトの硬貨や古代の金製の衣服の留め具など、小さな展示物がいくつか陳列ケースから消えていると、清掃員から連絡があった。これは、一見まじめそうに見える守衛が犯人だったことが判明している。

 だがそれ以降、保安部は改めるべきところを改め、著しい変身を遂げた。私は1983年生まれだが、私が生まれてこのかた、メトロポリタン美術館の展示室に窃盗犯が入ったことは1度もないらしい(ただし、研究室から野球カードが数枚盗まれたことはある)。これはみごとな業績であり、先人や同僚たちのたゆみない警戒によるところが大きい。