ちなみに、私が見つけたメトロポリタン美術館最古の警備員は、ディクソン・D・アレイという人物で、この美術館の最初の館長ルイジ・パルマ・ディ・チェスノーラ将軍の不正を訴えたニュース記事に登場する(サルディーニャ王国で生まれたこの館長は、アメリカの南北戦争に北軍の将校として参加し、のちにはキプロスのアメリカ総領事になるという波乱の人生を送っている)。

 アレイ氏の話によれば、1880年にメトロポリタン美術館が現在地に引っ越した際に、古代キプロスの陶器を箱から出して洗浄する仕事を任された(私がそのような仕事を頼まれたことは一切ない)。だがその過程で、一部の陶器が偽造されたものかすげ替えられたものであるらしいことが判明した。驚いたことに、その着色をした絵の具が新しいうえに水溶性で、洗浄した際に流れ落ちてしまったからだ。

 さらにアレイ氏はその後、古代のテラコッタ製の頭のない小像を手渡され、さまざまな像の断片が乱雑に放り込まれた箱から、その小像の頭部を見つける仕事を任された。やがて、その箱のなかからいちばん合いそうな頭部を見つけたが、それは胴側の部分に比べると、首の幅が3ミリメートルほど細かった。だがチェスノーラ将軍はそれを気にすることもなく、頭部の首に合わせるため、胴側の首を削るよう命じたという。アレイ氏はその後、この「修復」作業に関するインタビューにあまりに率直に答えたため、解雇されてしまった。

美術館の歴史の裏側に潜む
度重なる盗難事件の数々

 私が次に見つけた記事は1910年のものだ。その年、ある男(窃盗犯)がエジプトの小像を持ってバワリー通りの質屋に現れた。《ニューヨーク・タイムズ》紙の記事によると、男はこう言ったという。「ちょっとした真鍮製の像があるんだけど、これをかたにお金を工面してくれないか。これにいくらの価値があるかは知らない。おばのものだったからね」。おばは「こういうものの目利きでね。おばが買ってくるものはいつだって本物だった」と。