憧れのタモリの一言で
絵本の制作を始める
テレビを中心としたエンタメ業界の現実が彼の目標を変えさせた。レギュラー番組以外ではテレビの世界の競争を降りて、世界展開できるエンターテインメントを発信する方向に舵を切ると決め、憧れの存在だったタモリから「絵を描け」と言われたというたった1つの理由で、0.03ミリボールペンで、絵本の制作にとりかかる。
「何をすれば日本から世界のエンタメのトップを獲れるのか、と考えたときに言葉では無理だなと考えました。漫才をやってきたけど、日本語のお笑いや表現を英語にするのは難しい。絵を描くと決めたのには、多少の打算もありました。絵本ならば、それを軸にして展開することも可能になるし、他にやっている人もいない。世界に出るチャンスはあると思いましたね」(西野)
デビュー作を出版することになる幻冬舎の編集者、舘野晴彦にとっても2006年の出会いは衝撃だった。知人を介して、出版のハードルを越えられるものかどうか西野の絵を見てほしいと頼まれ、後に担当編集者となる袖山満一子と一緒に、六本木のレストランで食事をした。そこで西野からどうでしょうかと絵を渡された舘野は驚愕することになる。彼には『機動警察パトレイバー』シリーズを生み出した一人である、日本を代表するアニメーター押井守とも仕事をしてきた経験がある。細部まで描き込まれた絵は芸能人が片手間で描いたというレベルではなかったという。
それ以上に興味深かったのは「この絵はどういう物語なのか」と聞いたとき、西野が全体の構想を語ったことだ。世界観、キャラクター、物語の展開まで西野は語り尽くし、今見ている絵は全体構想のどこに位置づくのかまで言語化されていた。
早熟ゆえに孤独を抱えて
ひたすら絵を描き続けた日々
著名人が出す絵本はいくらでもある。だが、シリーズ化に堪えるものは限られる。彼は何年でも待つから出来上がったらすぐに原稿を渡してほしい、と出版を即断する。
西野は当時、深い孤独を抱えていた。彼の不幸は、あまりにも早くスターになってしまったことにあった。多くの人が共感するような「苦節~年」という物語はない。下積み時代すらほとんどない。挫折も強いてあげれば、最初のコンビを解散したことくらいだろうか。