「本を読むと子どもの知性が伸びる」という言葉を聞くと、このタイプの人は、「本さえ読ませていれば、知性が伸びる」と取り違える。そして、それがうまくいかないと、「本を読むだけで知性が伸びるなんてウソだ」と息巻く。

 もちろん、そのような拡大解釈をするのが後輩であれば、「おまえはバカか」と一蹴すればいい。だが、目上だったり、年上だったりすると、それもできずに困ってしまうことになる。遠回しに、「いえ、私が言っているのはそういうことではなくて……」と言い出すと、「おまえは屁理屈を言う」と言ってますます怒り出す。

 このタイプの人がよく行う拡大解釈にはもう一つの典型がある。

「A社のXさんは信用できる方だと思います」と言うと、「きみは、A社は信頼できる会社だと言っているが、それは間違いだ」などと言い出したりする。一層過激になって、「おまえはA社と心中するつもりのようだが、そんな覚悟があるのなら、その証拠を見せろ」などとめちゃくちゃな要求をする上司もいる。

 つまり、ある種の拡大解釈によってA社の中の一人であるX氏をA社とイコールの関係にしてしまうわけだ。

 このような拡大解釈は、しばしば相手を非難するときの論法に使われる。このような思考法を議論のための議論として、わかったうえで相手を言い負かそうとして強弁しているのなら、まだ救いがある。だが、そうでない場合も多い。本人がそう思い込んでいるらしいことも少なくない。拡大解釈をしてしまうのは理解力の低さからだ。

自分の「正義」を押し付ける

 正義の味方はカッコいい。その影響かもしれない。ネットの中で正義の味方を気取る人々が大勢いる。だが、その人たちは時として愚かになる。

 たとえば、女性タレントが外国人を揶揄(やゆ)するような文章をSNSに書いたとする。すると、正義の味方を気取る人々が大量に押し寄せて、そのSNS に攻撃をしかける。正義は自分にあると信じているので、大きな気持ちになれる。しかも、自分の名前を明かさないので、攻撃的になっても少しも怖くない。