それが酵母菌だとは知らぬまま
人類は酵母菌を飼い慣らした

 バケツの持ち主は、バケツの中に浮いていたハエの死骸に気づくと悪態をついたにちがいない。にもかかわらず、幸いなことに、無謀な誰かがバケツの中に指を入れ……そのおいしさに気づいたのだ。酵母菌のこの新しい株を保存し、ミルクを絶えまなく注ぎ足し、レシピを何度も繰り返したくなるほどのおいしさだった。

 人類は、もっとも適した血統を選別しながら動物を飼いならすのと同じ要領で、酵母菌も飼いならした。自分たちが酵母菌を育てているとは知らずに……。というのも、酵母菌の存在が発見されたのは何千年もあとのことだからだ。ところが、完全に経験にもとづく方法によって、まるで手品のようにあらゆるチーズのもととなるクルイウェロミセスの雑種を飼いならしたのだ。

 今日、僕らがこの歴史をたどることができるのは、マルラやショウジョウバエやチーズに見られる酵母菌のさまざまな株の遺伝子にこの歴史が刻まれているからだ。遺伝学者たちはクルイウェロミセスの系統樹を再構築することで、交雑が起こった時期をかなり正確に推定した。それによると、ハエがバケツに落ちた後、酵母菌は370万世代も続いていることになる。それはおよそ5500年前に相当し、チーズについての考古学的な最古の痕跡が見られる時期と一致する。

 お皿からハエを追い払うのは当たり前の反射運動であり、食事の真っ最中に僕らのお椀の中でハエがバタフライで泳ぎはじめたらとんでもない迷惑である。しかし、もし5500年前に1匹のハエがバケツの中に落ちることがなかったら、サン・ネクテール、エポワス、ポン・レヴェック、ロカマドゥール(いずれもチーズの名前に冠された地名)といった言葉は、ただの地名で終わっていたことだろう。

サクランボやトマト……
数多い昆虫の贈り物

 毎食毎食昆虫に感謝しても、感謝しすぎるということはない。昆虫の贈り物はチーズだけではない。昆虫なしでは、口に入れるものはほとんど何も存在しなかっただろう。被子植物の9割にとって、昆虫は不可欠である。羽の生えた愛のメッセンジャーが受粉を保証してくれるからだ。サクランボやトマトなどの果実は、昆虫のおかげで存在している。