値引きに失敗で渋々購入
かぶりついた瞬間の「特上」

 ところが、店内を冷かして歩く僕に主人はいっこうに声をかけてこなかった。黙って座っているだけだ。うーむ、なんだろうこの余裕は?でも内心はやきもきしているに違いない。

「やっぱりもらおうかな。いくら?」

「3ペソです」

 うむむ。釈然としないが、背に腹は代えられなかった。不承不承3ペソを渡し、食パンを受け取ると、おや?やけに重い。焼き上がりのような香りが顔を包んだ。

「ここで食べていいですか?」

 暖炉で温められた店内には小さなテーブルとイスが置かれている。主人は「どうぞ」と言った。ナイフを入れると真綿のような白肌が見えた。目が詰まっている。重いはずだ。かぶりついた瞬間、えっ、とパンの断面を見つめ、呑み下したあと、主人を見返して言った。

「リコ(うまい)!」

 主人は初めて朗らかな顔になり、微笑んだ。小麦の膨らむような香り、きめの細かい食感、磨かれた上等な素材だけが持つ特有の涼やかさ。なるほど、値段が高くなるのも道理だ。こりゃ特上のパンだ。窓の外では相変わらず風が唸り声をあげ、窓ガラスをガタガタと揺らしていた。たまに風がやみ、薪の燃える音がパチパチと浮かび上がる。それらの音に包まれながらパンにかぶりつく。

 子供たちは僕をじっと見ている。主人も相変わらず置物のように座っている。人の少ないところに住む人たちに共通する物静かさを、彼らもやはり持っているのだった。

 人付き合いが苦手だからこういうところに住むのか、あるいはこういうところに住むから静かになっていくのか……。

 ともあれ、暴風吹き荒れる荒野の真ん中で、いつやってくるとも知れぬ客のために、洗練された都会的なパンを焼いているこの店に、仙境でも垣間見たような不思議な気分を味わっていたのだった。