聞けば出てくるのは、生活保護を受けることへの抵抗感ばかり。言い訳を並べ立て、挙句「鈴木さんは(地方における生活保護者の差別を)全然わかってない」と大きな溜息をつく彼女を前に、結局この日の生活保護申請計画は頓挫した。
どういう資料が必要なのか
説明を聞いても読んでもわからない
この際の取材について、拙著には彼女がいかに差別を恐れていたか、いかに彼女が住むエリアの人々が狭量なのかを中心に描いた(実際非常に差別の強い地域に感じた)が、それは当然「だらしなさ」や「約束の反故」を中心に描けば単に貧困者への攻撃や自己責任論の燃料にしかならないと判断したからだ。
だがその後、一向に先行きの見えない生活の窮状を見かねて、もう一度生活保護申請の同行を提案した際、彼女はようやく吐露した。
曰く、資料を集められないのは、僕のした説明がよくわからなかった以上に、「資料集めのための資料」として事前に渡していた文書も、読んでも意味がわからなかったと言うのだ。
なお、その時彼女に渡していたのは、生活保護申請の同行支援を行っている支援団体や、住居支援などを行っている団体(こちらはいま思えばモロに貧困ビジネスの担い手だったが)からかき集めた資料で、少なくとも当時行政サイドがHPなどに公開していた申請手続きなどよりは、わかりやすいはずだった。「これを全部読めば生活保護申請楽勝ガイドになるようなセレクトだ」と、当時の僕は本気で思っていた。
そもそも生活保護の申請に必要な資料や記入項目なんて、大した分量じゃないのだ。
「わからないのではなく、面倒で読もうとしないからじゃないか」「せめてこちらの提案をひとつでも聞き入れてくれないと、何も始まらない」と当時の僕は思った。
とはいえ、そんなことを言っていられる状況でもない。
ならばせめてその日は各種申告書や生活歴などの書き込める部分だけは書き込んだり、どの部分に何の資料が必要なのかがわかるように仮の記入をしたりして、資料はまた次回までに揃えようとなったのだが、いざ記入となってようやく目前にすることになったのが、その「圧倒的な事務処理能力の低さ」だった。