僕にも反発があったけれど、深澤さんにお願いした以上、ノーとも言いきれなかった。ものすごくモヤモヤしながらも……、心を落ち着かせて、まあローマ字だし……と自分を納得させ、HIROSHIMAでいくことを決断しました」

 深澤がHIROSHIMAという名を思いついた時、彼はアメリカの西海岸に暮らしていた時代のことを思い起こしていた。

 1989年に渡米した深澤は、車でも自室でも、ラジオをかけスムースジャズを聴いていた。スムースジャズとは、1980年代にアメリカのラジオ局が使い始めた言葉だ。そんなスムースジャズの中でも深澤のお気に入りのバンドのひとつがHIROSHIMAだった。

 1974年に日系3世を中心に結成されたHIROSHIMAは、被爆地である広島にちなんで名づけられた。琴などを交えた楽曲は瞬く間に大ヒットし、グラミー賞にも何度もノミネートされている。1989年公開の映画『スタートレックV新たなる未知へ』にも使われ、日本でも80年代後半に人気を集めた。

「HIROSHIMAを聴くと、カリフォルニアの夕暮れのゴールデンゲートブリッジが見えてくる。音楽はもちろん、英語のHIROSHIMAという語感や目から入ってくる文字の感じが好きでした。椅子を製作している頃から、HIROSHIMAという名前が良いな、と思っていたんです。

 もちろん、原爆の被害にあったという負のイメージはわかっています。でも、これだけ世界で認知されている広島は、悲劇だけではなく、復興を遂げた希望という顔も持っている。マルニ木工は広島の老舗メーカーでありながら、事業に苦しみ、生まれ変わらなきゃいけないという現実がありました。

 希望と再生。その思いもHIROSHIMAという名に込めたんです。強いインパクトがありますよね、この名前は。HIROSHIMAと聞けばいろいろと語れるじゃないですか。そういう言葉であることも面白いと感じていました。

 武さん、洋さん(編集部注:マルニ木工の7代目社長)たちマルニ木工側がこの名前に違和感を抱いていることは、のちのち知りました。でも僕はHIROSHIMA以外考えられなかったので、反対と言われても、まったく動じなかったと思います」