「ゲーム中、ベンチの中でコーラばかり飲んでいた。近づくと、酒臭い。コーラの瓶にウイスキーを混ぜていたんだろうね。不真面目ではなかった。練習もよくするし、グラウンドでは精一杯プレーする。酒に溺れたのはホームシックが原因だったみたいね。アメリカに残してきた夫人とは不仲で“飲まなきゃやっていられない”みたいだった」
大酒のみでも許されるのが弱い時代のスワローズでしたから、他チームなら若死にすることもなかったかもしれません。入団4年目の69年3月、ジャクソン選手は都内の病院で息を引き取ります。死因は膵臓ガン。やはり過度の飲酒が原因でしょう。まだ33歳でした。
大金を払ったのに無断で帰国
「史上最悪の助っ人」とは
そのスワローズが大失敗をしたのは、「史上最悪の助っ人」として名高いジョー・ペピトーン選手です。62年にニューヨーク・ヤンキースに入団。地元ファンから「ミッキー・マントルの後継者」と期待され、長髪をなびかせ、契約金2万5000ドルを使ってフォード・サンダーバードを買いました。
夜な夜な部屋に女性を連れ込んで遊び呆けるのですが、64年のワールドシリーズの第6戦で満塁本塁打を放ち、3度ゴールドグラブ賞を獲得するなど、守備力も評価された超一流選手でした。が、遊び好きが祟り、何球団かのトレードの後、73年にヤクルトが年俸7万ドルに加え、アトランタ・ブレーブスへもトレードマネーとして7万ドルを支払って獲得。当時唯一といっていい現役大リーガーの入団に、日本中がわきました。
6月20日に初来日。1試合目となった巨人戦では決勝タイムリーを記録したのですが、球団が「ペピトーン・デー」と位置付けた6月30日の対中日12、13回戦ダブルヘッダー(神宮)の第2試合をいきなり欠場。そのまま当時の夫人との離婚裁判への出席を理由に無断で帰国し、その後ほとんど来日せず、
翌年始めには自由契約になりました。
しかし、日本での評判を聞いた米国の各球団も契約せず、ペビトーンは転落の一途をたどり、85年にコカイン不正所持で逮捕。出所直後に拳銃不法所持、92年に軽犯罪、95年に飲酒運転で交通事故を起こすという有様。他にも、ミッキー・マントルに貸したバットが野球殿堂に展示されていると100万ドルの訴訟を起こすなど、問題児のまま人生を過ごし、23年に82歳で死去しました。
日米ともに、引退したアスリートのキャリア教育は成功しているとは言えません。子どもが大谷翔平に憧れるのはいいことですが、まずはアスリートとしてよりも人間としての立派さを教えた方がいいように思います。
(元週刊文春・月刊文藝春秋編集長 木俣正剛)