大のスワローズファンが気になる
晩年に不幸になった選手たち
実は、私は小学生時代からスワローズ一筋の熱狂的ファンです。弱いチームだったこともあり、晩年不幸になった選手が妙に記憶に残ります。
たとえば、酒仙投手といわれた秋田県大館出身の巨人キラー、石戸四六。実働年数9年、通算70勝90敗ながら、この弱いチームで金田の次に20勝投手にもなりました。入団1年後のオフに、東京有楽町の国鉄球団事務所で来期の契約をしてから、しこたま飲み、そのままタクシーに乗り、途中運転手と共に栃木と福島の温泉宿に2泊して、大館の実家まで帰ったという逸話も残る豪傑でした。
急に調子を落とし、3勝しかできなかった年は、契約書にサインもせず、「しばらくクニに帰ってくるよ」と言って、そのまま消えました。現役引退後は、故郷に戻ってスナック『神宮』を開きました。スナックの経営は順調だったようですが、寿司屋まで手を拡げて失敗。どん底状態のまま、1980年に肝硬変のため39歳でなくなりました。
規則にうるさい巨人軍に入団していたら、もっと活躍したか、あるいはもっと早く辞めていたか――。なにしろキャンプ中は、朝帰りをしてもわからないようユニフォームで外出。朝帰りする姿を当時の別所監督に見つかったのですが、監督は早朝練習と思い込み、全員の前で石戸の猛練習をほめて、みんなが忍び笑いをしたという笑い話も残っています。亡くなる2年前、チームの初優勝の記念品をもらったのが、一番幸せな時間だったと思われます。
高野光の自殺も悲劇的な事件でした。大学ナンバー1投手として、東海大から84年にスワローズに入団。新人開幕投手に抜擢されるなど快速球を武器に活躍。甲子園の大スター、荒木大輔と二本柱としてスワローズを人気球団に押し上げましたが、故障がちで結局実働8年、通算51勝55敗と期待外れに終わりました。引退後はオリックスや韓国野球のコーチをしていたましたが、00年春豊島区のマンションの7階の自室から飛び下り自殺。資金繰りに困り、仕事上の悩みが原因とされています。
スワローズは弱小でしたが、今でも外国人選手を獲得するのは上手です。その最初が66年に入団したルー・ジャクソン選手でした。俊足、強肩、強打と3拍子揃った外野手で、当時メジャーは24球団(現在は30)でしたから、今なら現役メジャーだったのは間違いない身体能力でした。
日本の野球に慣れた2年目の67年は117試合に出場し、打率2割9分6厘、28本塁打、79打点、13盗塁と活躍し、オールスターゲームにも出場します。ところが、翌68年は打率2割1分9厘の大不振。その原因は飲酒でした。なんと「ベンチでコークハイを飲んでいた」と当時のチームメイトが回想しています。