
「短いながらも深い」ラテン語格言の魅力を伝えるのは、古代ローマを描く漫画家・ヤマザキマリと、気鋭のラテン語研究者であるラテン語さん。SNS上で匿名アカウントを使い、自己承認欲求を炸裂させている人たちの振る舞いにウンザリしている両者が、これぞ現代への警句と喝采したのは、サッルスティウスの「そう見られることよりそうであること」。その意味するところとは?本稿は、ヤマザキマリ・ラテン語さん著『座右のラテン語 人生に効く珠玉の名句65』(SBクリエイティブ)の一部を抜粋・編集したものです。
優れた人間だと思われるより
優れた人間でありたい
ラテン語 私が生き方の言葉として選んだのは、esse quam videri「そう見られることよりそうであること」です。見かけより実質。私はこれを重視しています。
サッルスティウス(注1)という人が書いた歴史書のなかでカトー(注2)という人物について、「彼は優れた人間であると思われるより、実際に優れた人間であることを望んでいた」、そう書かれています。当時も見せかけだけで中身が伴っていない人がいたのでしょう。
ヤマザキ 自分の意思での見せかけもさることながら、他者によって勝手に作られてしまうイメージというのもありますよね。例えば、ラテン語さんといえばこういう人よね、と自分ではまったく自覚のないイメージが象られてしまう。人によっては、そうやって他者によって作られた自分のほうこそ、本当の自分だと思い込んでしまったりもあるでしょう。芸能人なんかにありがちなことかもしれませんが、そういうことがないように、という言葉ですよね。
ラテン語 イメージももちろん大事ではあるんですが、実際の行動で誠実さを示す。イメージは言葉や何やらで作られてしまいますが、行動で示すことには敵わない。私が重要だと思っていることを言ってくれた言葉です。また、この言葉はアメリカ合衆国のノースカロライナ州のモットーにも選ばれています。
ヤマザキ ノースカロライナ州はなんでこれをモットーにしたんでしょうかね。ノースカロライナ出身の友人がいたことはありますが、別にそれほどの気高さがあるようには感じられませんでした(笑)。
ちなみにうちの夫は我々の対談リストにこの格言があるのを見て「これはいい言葉だ!」と感心していましたよ。時世的には、例えばSNSなどでは匿名で自らを隠したり、ペルソナを作って別の自分になりすますことが当たり前になっています。
SNSのダイレクトメッセージで
釣られた私もバカでした
ところが、SNSで吠えていた人が実際に会ってみると、とても小心者で気が小さい人だった、という展開はよくあります。SNSで私の非難をやめない人がいて、とうとう頭にきたのでダイレクトメッセージ(DM)で「いい加減にしてほしい、言いたいことがあるのなら私の前に現れて言え」と送ったら、「ヤマザキさんと喋れるなんて光栄です!」という返事。
注2 ここでは、小カトー(紀元前95年~前46年)。共和政ローマの政治家、哲学者。カエサルと対立して暗殺された。