「まさか反応くるなんて思わなかった!嬉しいです!」、こいつバカじゃねって思いましたが釣られた私もバカでした。
とにかく、SNSの書き込みというのはうんざりさせられます。正義を振り翳し、皆に崇められ、謙虚を装いつつも称賛されたくて仕方のない、自己承認欲求を炸裂させている人で満載。
他人の鏡に映さないと自分の姿が見えない人っていうのがいるんですよね。そんなふうに人に象られることでしか自分自身が分からなくなってしまった日には、自分自身を見失うのも簡単です。鏡が何も映さなくなってしまったら、自分の存在もそこで消えてしまうことになる。社会がどうであろうと、自分は自分で自分の鏡に映して自分の姿を確かめる人間であれ、ということを言ってると解釈していい言葉だと思います。ノースカロライナ州、なかなかやりますね。
ラテン語 ペルソナ化はキャラ付けとも言えますね。
ヤマザキ ハリボテの甲冑で身を包んでいるけれど、脱いでしまうと無防備そのものでしょう。SNSのなかでしかいばれない人たちは、いつでも崩れてしまう砂上の楼閣みたいなものなのです。そんな連中に囚われて気分を害するのも、時間と精神力の無駄でしかないですね。
ラテン語さんだってSNSをやっていると、なんだこいつと思う時もあると思うんですよ。
たった3語の言葉なのに深い
これもラテン語格言の魅力
ラテン語 はい、まあ、あります。ヤマザキさんの体験と同じく、DMを送ったら態度を変える人もいました。1対1になると急に萎むんですよね。
ヤマザキ フォロワーも多かったりすると特に、何か自分が巨大な存在になったような気がするんでしょうね。匿名の安心感のなかで、集団の威を借りて虚勢を張ってるわけですよ。どんな立場であろうと自分を支持してくれる人が数人いれば、気分はちょっとした宗教の教祖様。
ラテン語 そうです。フォロワーを信者と思っている人がいるんです。
ヤマザキ esse quam videri「そう見られることよりそうであること」は、歪んだ思想に巻き込まれやすい今みたいなご時世でこそ、多くの人に知ってもらいたい大事な言葉ですね。