暴君・力道山の鉄拳より堪えた
地獄の「一升瓶イッキ飲み」
兄貴から、力道山の付き人時代の地獄を聞かされたのは後年のことである。
せっかく念願のプロレスラーになることができたのに、その扱いは同期入門のジャイアント馬場と雲泥の差。暴君・力道山から毎日のように「おいアゴ」「ブラジルの猿」と罵倒され、ミスをすればもちろんのこと、しなくても機嫌が悪ければ殴られる。
兄貴によれば、殴られる以上にきつかったのが夜の呼び出しだったそうだ。連日、財界人や大相撲関係者らとの酒席に繰り出していた力道山は、若手選手に酒の「イッキ飲み」を披露させるのが好きだった。
日本酒の一升瓶をあけ、それをラッパ飲みさせる。プロレスラーの凄さを見せつけるのが目的だから、失敗は許されない。まだ10代だった兄貴だが、未成年であることを気にかけるような人間はいないから、やるしかない。
一升瓶の底を天に向けて、グルグルと回しながら胃の中に流し込む。ブラジルでは酒など飲んでいなかった兄貴にとって、それはほとんど拷問に近い苦痛だったことだろう。
「俺の救いはマンモス(鈴木)だった。俺よりやられていたのはあいつだけで、自分が最悪でなかったことだけが心の支えだった」
兄貴は当時を振り返り、そんなことも言っていた。とにかく、ある意味ではブラジルのコーヒー農園時代を上回る「試練の日々」だったらしい。
力道山は兄貴を連れて帰国する際、サンパウロの空港で3本の指を立てながら記者たちにこう宣言していた。
「3年たったら、必ず一人前のプロレスラーに育てて皆さんの前にお返ししますよ」
その3年が経過しても、兄貴の情報はブラジルに伝わってこなかった。日本から伝わってくるのは皇太子(現在の上皇陛下)と美智子さまのご成婚、そして東京オリンピック開催に沸く好景気の到来である。
アントニオ猪木が
売れっ子女優と結婚へ
「女優の倍賞美津子と結婚することになった」
兄貴からそんな連絡があったのは1971(昭和46)年のことだった。
日本の芸能界についてそれほど詳しくなかった私たちも『男はつらいよ』のヒロイン「さくら」を演じていた倍賞千恵子さんの名前は知っていたし、その妹である美津子さんと聞けば、詳しくは知らなくとも日本での人気ぶり、活躍ぶりは想像がついた。
最初に結婚した(入籍はしていなかった)ダイアナさんとはすでに話し合いのすえ別れ、美津子さんとの結婚に支障はないという。後に聞いたところでは、日プロの先輩・豊登の紹介で意気投合したらしい。