メディアが騒ぎ立てた
「1億円挙式」

 車窓から見る街並みは、大きく変貌していた。1960年代に著しい経済成長を遂げた日本の首都・東京は交通量も激増しており、故郷に戻ってきたというよりも、まったく別の国にやってきたような錯覚さえ感じられた。

 取り急ぎ、私たちが向かったのはかつて兄貴がダイアナさんと暮らしていた野毛の一軒家である。兄貴は練馬にある倍賞美津子さんの家に居候状態で、しばらくは空き家になっているこの家を使ってくれという。

 家のなかに入ってみると、ゼネラル・エレクトリック製の洗濯機や冷蔵庫が備え付けられており、あらゆる場所にアメリカ人であるダイアナさんの感覚に合わせたカスタマイズが施されていた。これだと、美津子さんも暮らしにくかったに違いない。

 その後、結婚式を控えた美津子さんにも挨拶した。売れっ子女優である美津子さんはいたって気さくな人で、私を「啓ちゃん」と呼び、どんな人に対しても壁を作らない天性の社交性を持ち合わせていた。

「引っ込み思案な兄貴だが、この人とならうまくいきそうだ」――私は初対面のときからそんな予感を抱いていた。

 この年11月2日、兄貴は京王プラザホテルで結婚式を挙げた。プロレス界のスターと人気女優の結婚とあって、仲人は三菱電機の大久保謙会長夫妻がつとめ、新聞は「1億円挙式」と書き立てた。

書影『兄 私だけが知るアントニオ猪木』『兄 私だけが知るアントニオ猪木』(講談社)
猪木啓介 著

 私が母に声をかけた。

「兄貴って有名になったんだな」

 母は、引き出物に用意されたモルフォ蝶の標本を見つめながら、こうつぶやいた。

「そうね。寛至は頑張ったのよ」

 モルフォ蝶はブラジルに生息する大型の蝶で、その青く美しい羽は蒐集家たちの間で高い人気がある。引き出物に自身の「原点」を込めた兄貴のメッセージは、母の心に響くものがあったのだろう。