お笑いの代わりではなく、お笑いを続けるために就職した

――お笑いの代わりではなくて、お笑いを続けるために就職したという感覚だったんですね。

滝沢:子どもが生まれて、目の前の問題として、本当にお金がなくて。こうなると、生計はゴミ収集で立てているので、お笑いは趣味というか、草野球みたいな感じ。その頃にいとうあさこさんが40歳くらいでブレイクして、続けていれば何かあるかもしれないという希望が出てきた。

 僕は子どもが生まれたことを原因にして辞めるということをしたくなかったんです。両立できるんだと身をもって示したい、そういう意味で辞めるという選択肢はなかったです。(20)12、14年は「THE MANZAI」の認定漫才師に選ばれたりして、まだお笑いの世界でも目はあるという感触もあった。そのうちに、ゴミ清掃を続けながら『かごめかごめ』というホラー作品で作家デビューもしたりして。

西堀:僕はその頃、『闇金ウシジマ君 SEASON2』や『世界でいちばんむずかしい恋』に役者として出演して、役者でもいけるのかな、なんて思い始めた。事務所ライブも卒業して、マシンガンズの芸人としての仕事は、お互い週2本のラジオだけ。でもおかげで週に1回くらいは顔を合わせる機会があって、なんとなく続けさせてくれるような要素が、良くも悪くも続いているんですよ。辞めさせないような何かが(笑)。

――「辞めさせない運命」に続けさせられたという(笑)。

滝沢:解散してもメリットがないんですよ。コンビとして名前が残っていれば、ごくたまであったとしても営業が入ればお小遣いくらいにはなるし、子どもの生まれた僕にはそれくらいお金が大事でしたから。

 17年秋からは『スマートフォンデュ』っていう秋元康さんプロデュースのバラエティ番組のレギュラーにもなったりして、18年には僕の『このゴミは収集できません』(白夜書房)という本がスマッシュヒットになって、また風向きが変わった。SDGsの波にも乗ったのかな、単発でいろんな番組に出て、ゴミや環境についての講演会もたくさん入るようになって。

 そうしたらコロナ禍がやってきて、講演会は全部ストップしたんですけれど、「コロナ禍でのゴミの出し方」をSNSで発信したら、これがすごく受け入れられて。小池百合子(東京都)知事がリツイートしてくれて、ライブ配信での対談につながったり、当時環境大臣だった小泉進次郎さんから連絡が来て「サステナビリティ広報大使」の第1号に任命されたりしました。