当初、「THE SECOND」に出る気はなかった

西堀:僕の方は、ドラマがあったのと、暇だから「発明学会主催 身近なヒント発明展」に応募してみた「靴ブラシハンガー」が優良賞に選ばれた。21年末にはYouTubeチャンネルの「西堀ウォーカーチャンネル」を開設したりしたけれど、でもその頃は芸人としては「こうやって、緩やかに終わっていくんだろうな。表立って引退とは言わないけれど、いずれ廃業するんだろう」って思っていました。キッチンカーでカレー屋でもやろうかなんて考えていたくらい。

――ある意味、副業に支えられる形で、本業のお笑いも細々とオファーが続いて、二足のわらじを履き続けてこられたんですね。でもそのオファーの流れももう……となって、さすがに廃業の予感があった、と。

西堀:ところが、21年12月に「THE SECOND」のエントリーが始まって、マネージャーの田中が応募していたんです。それが最大のファインプレー。僕らは二人とも、全然出る気がなかったんです。

滝沢:その時、西堀は副鼻腔炎の手術を控えていて、それを聞いた僕は「ラッキー、出なくて済む」と思ったくらい。めんどくさい大会が始まったと思って、当初は出たくなかった。そしたらたまたま予選が西堀の入院前日だったので出ることになって、でも僕らは負けるに決まってる、って。

 新ネタを考えるのはもう時間も気力も無理。何の努力もせずに、15年前からずっと営業でやってるネタを2本やって、3本目はもうネタもないから「負けてもいいや」と欲を出さずアドリブで喋ったところが、ドカンと受けた。幸か不幸か、お笑いを辞めるなよという大きな力が働いている、そう感じました。

何か一つのタイミングで、1日で人生が変わることがある

――辞めるきっかけもメリットもない、というだけで、ただ消極的に「辞めなかった」ら、ある日報われた……。

『もう諦めた でも辞めない』書影マシンガンズ著『もう諦めた でも辞めない』(日経BP)

西堀:あの一つのタイミングで何もかもが変わるなんて、わからないものですよね。なんで勝てたのか、マジでわからないです。自分で何かを決めるなんて、小さなことなのかもしれない。大きな流れの前では無に等しいと思います。

 僕たちはネタブームの頃、一昨日まで一般人だった柳原可奈子が「レッドカーペット」に出て、1日で人生が変わるのを見たんですよ。やりかけた芸人を辞めちゃうなんて、宝くじを捨てちゃうのと同じ。僕らはとにかくお笑いが好きだから、芸人人生のルーレットを一度回しちゃったら見届けるしかないんです。

滝沢:だからこの書籍タイトル『もう諦めた でも辞めない』は、本当に純粋に、僕らの26年間の芸人人生を言葉にしたものなんですよ。

(第2回に続く)