「極秘」の最終面接、決め手になったのは…

給料遅配→社員に借金のドン底から「日本一売れてる月刊誌」が生まれた驚きのワケ「ハルメク」の山岡朝子編集長。ハルメクホールディングス取締役でもある Photo:朝日新聞出版、上田泰世

 そのころ、宮澤は、主婦と生活社で数々の雑誌を再建してきた山岡朝子に、ヘッドハンターの紹介で出会うことになる。このときまでに、新編集長の候補は山岡ともう1人までに絞られていた。2人の候補者に「どうすれば雑誌を再建できるか?」をテーマにプレゼンをさせ、決めることにした。

 2017年2月28日、最終面接は社内でも極秘にするため学士会館でおこなわれた。

 面接官は社長の宮澤他、通販部門の責任者など5人。

 ここで山岡は、カタログ雑誌と「いきいき」が一緒に送付されているにもかかわらず、連携がとれていないと指摘をし、両者が有機的にむすびつく単なる雑誌のコンテンツを超えた改革案を提案する。

 その日のうちに採用がきまり、山岡は「ハルメク」と社名そして誌名の変わった現在の会社に2017年7月に入社をする。1カ月ほどの引き継ぎ期間ののちに編集長に就任するが、編集部員は落下傘でおりてきた山岡にけっしてやさしくはなかった。

 主婦と生活社からハルメクに移籍した山岡朝子は、編集者とは「創ると売るの両輪を回すこと」だと考えていた。主婦と生活社時代には、日本国内のビジネス・スクールに通いMBAを取得したりもしている。

 その山岡は移籍したハルメクで前編集長の最後の号の雑誌づくりを注意深く見ることになった。

 これは、面接のために過去のバックナンバーをみていて感じたことでもあったが、 「病気」の企画が多いのが気になった。他にも介護や年金など、確かに高齢者の雑誌だが、60代、70代といえども今はみな若い。ヘアやファッション、料理や恋愛などにむしろ興味があるのではないか?

 編集長が「高齢者は情報弱者ではない。うちは問題提起をして読者に考えさせる」と言っているのにも違和感を覚えた。実際に企画会議でも、こういう運動があり社会的意義があるのでぜひとりあげたい、といった企画が次々に出されていた。