耳を傾けているうちに、いつの間にかそれは、ハミングではなく、歌声に変わっていた。

 ソーマーリア、トォースォー、トォースォー、ソマーリーアー。ソーマーリア、トォースォー、トォースォー、ソマーリーアー。

 彼の声を聞くのは、三浦にとって初めてのことだった。細くて高い、幼さを感じる声だ。それもそうだろう、彼の体は、見るからに華奢で、まだ子供のようだった。初等少年院の子たちと大差ない(編集部注/府中に赴任する前の三浦は、少年矯正を担当していた)。

「ハベーンワナーグサン」
彼の国の言葉で声をかけた

 マッハムードが突然、2人のほうを振り向いた。やはり、気づかれたようだ。

 三浦は、咄嗟に言葉を口にする。

「ハベーンワナーグサン」

 それは、ここに来るに当たって用意していた言葉で、〈こんばんは〉という意味のソマリ語だ。

「ハヴェーン ウァナーグゥサン」

 三浦は一瞬、耳を疑った。だが、間違いない。聞こえてきたのは、マッハムードの声である。言葉を返してくれたのだ。

 体を50センチほどずらした三浦が、居室の正面に立つ。そして、視察窓から中を覗いた。

 マッハムードと視線が合い、すぐさま、「マハドサニド」と返す。〈ありがとう〉を意味するソマリ語である。

 マッハムードのその大きな目が、さらに大きく見開かれ、何かを言いたげな顔になる。

『出獄記』書影『出獄記』(山本譲司、ポプラ社)

 彼の口が動いた。

「アリガトウゴザイマス」

 マッハムードが、そう言った。確かに、そう言った。

「日本語を話せるの?」

 三浦の問いに、マッハムードは何も答えず、ただ、はにかむような笑みを浮かべた。