孫氏の怒りは感情的でありながらも、単なる叱責では終わっていなかった。

 また、宮川氏も、怒声を浴びせられた場で屈しなかった。孫氏に対して「1週間ください。それで納得させられなかったら辞めます」と宣言したのだ。事業を立て直すためには裁量と時間が必要という信念に基づいた決断だった。

孫の激昂は「正解」?怒りに屈しなかった宮川

 宮川氏は名古屋に戻ると、当時の名古屋めたりっく通信の社員約300人から、経験と実務能力のある150人を選抜した。名古屋で培ってきた顧客管理フローを再現し、作業の重複を排除し、進捗状況を把握できる体制を構築した。

 進行中のデータ処理を標準化し、情報の分散をなくす仕組みを整えた。これにより、作業効率が一気に向上し、オペレーションの可視化が進んだ。顧客からの問い合わせに即応できる体制も、ここで初めて実現された。

 一般的に怒鳴りつけるという行為は、組織においては推奨されない手段とされる。感情的な表現は、萎縮や不信を招くリスクがあるからだ。

 だが『感情の説得力』では、感情表現の効力について実証研究がなされている。怒りや悲しみといった感情が、受け手にとって「情報」として解釈される場合、態度や行動に変化をもたらすことを指摘している。

 論文に基づけば、孫正義氏の怒りもただの衝動ではなく、宮川氏に対する圧力と期待のメッセージとして機能していた可能性があるだろう。

 怒りは非合理な表現と見なされがちだが、EASI理論(Emotions as Social Information、直訳すると「社会的情報としての感情」)によれば、他者の感情表出は受け手の認知と態度形成に影響を及ぼす「社会的な手がかり」として理解される。

 宮川氏は、怒りに屈しなかった。むしろ、怒りを契機にして自己の職責を拡大し、行動に転じたのだ。もし孫氏の怒りがなければ、彼の改革はこのスピードでは始まらなかったかもしれない。