ソフトバンクのADSL事業は、宮川氏の主導によって体制が整備され、2001年9月に予定を1カ月遅らせて正式にサービスを開始した。初期には莫大な赤字を計上していたが、2006年にはブロードバンド事業単体で営業利益200億円を超える黒字化を実現した。

 成功の裏には、現場オペレーションの改善、ノウハウの導入、社員の献身があった。それと同時に、トップの怒りという「異物」も強烈な触媒となった。孫氏が宮川氏に浴びせた「お前、見損なったぞ」という怒りは、形式的な組織運営では生まれえない劇的な緊張感を組織にもたらしたと言える。

怒りは諸刃の剣だが…

「お前、見損なったぞ!」孫正義がブチギレた緊迫場面、怒りに火をつけた部下の「率直すぎる言葉」Photo:Bloomberg/gettyimages


『感情の説得力』は、感情表現が受け手の態度に影響を与えるメカニズムを実証した。特に、怒りや悲しみのようなネガティブな感情は、相手に「今の状況は重大である」と認識させ、情報処理を促進する効果があるとされる。

 孫氏の怒りは単なる叱責ではなく、意思表示の手段であり、組織行動を加速させる戦術的な行為だったとも言える。

 宮川氏が結果を出したことは、研究の有効性を裏づける。怒りが不快であると同時に、組織に緊迫感を生み、行動変化を引き出すための「情報」として作用した。この場合、怒りは感情ではなく、戦略だったと言えよう。

 とはいえ、怒りは諸刃の剣である。一般的な組織において、経営者の怒声や恫喝は、パワハラや組織崩壊につながるリスクもある。

 実際に、孫氏のような「強い感情表現」を効果的に扱えるリーダーは稀である。だからこそ、怒りが有効に働くには、信頼関係、明確なビジョン、そして責任を引き受ける構えが必要だ。