かなり驚愕の内容ですよね。僕自身も初めて読んだとき、そんなことがあるのかと驚きました。数あるメゾンブランドの歴史の中でも、相当変わった部類だと思います。

 その後パトリツィオとミウッチャは1987年に結婚し、結果的にパトリツィオはプラダグループを大きく発展させる重要な人物となったのでした。

プラダが再起を賭けた
生地の名は「ポコノ」

 プラダが取り入れた中で最も有名かつ、歴史的に最も大きなインパクトを残したのは「ポコノ」という素材でした。

 このナイロン生地は絹のように軽くて丈夫、しかも撥水性や手触りの良さを併せ持つという、とても高性能なものでした。製造会社は「リモンタ」といい、高級なナイロン生地を作ることで現代でもよく知られている会社です。

 ミウッチャは、この素材でバッグを作る事を決断します。

 しかしこの試みは最初、周りからの理解を得られませんでした。というのも当時は、ラグジュアリーブランドが作るバッグといえば、レザー製が当たり前の時代だったのです。格式の高さを売りにする高級ブランドが、まだまだチープなイメージの強かったナイロン製のバッグを作るなんて、あり得ないと言われてしまったんですね。

 しかしこのバッグは、結果的に大成功を収めます。

 ポコノのバッグは1984年に初めて発売され、プラダの代名詞的アイテムとなりました。ちょうどミラノの3Gが世に出て、イタリアのファッション業界が注目されていた時代です。

 このナイロンバッグの誕生は、高級品としての合成繊維を初めて世間に受け入れさせることに成功しました。ポコノのバッグがなければ、今でも合繊繊維の立ち位置はもっと下だったかもしれません。

 大げさではなく、このバッグは歴史を変えた重要なアイテムのひとつなのです。