しかし第二次世界大戦に入ると、こういった高価な革の需要が減ってしまいます。

 戦時中はオシャレどころではないですからね。

 そんなプラダが再び日の目を見たのは、戦争から30年程たった頃のことでした。

 創業者であるマリオ・プラダの孫、ミウッチャ・プラダがオーナー兼、デザイナーに就任したのです。私たちが想像するプラダは、このミウッチャが率いるプラダかと思います(※3)。

 1977年6月10日。ミウッチャが29歳の時、プラダにとって大きな転換が訪れます。なんでも、皮革製品の国際見本市で、プラダのコピー製品を売っている業者がいるというのです。彼女は思いました。

「今は低迷しているとはいえ、プラダはかつて王室御用達だった格式あるブランド。そんなプラダを模倣するのはどんな輩か見てやろう!」

ミウッチャの夫との
衝撃的な馴れ初めとは

 悪党の正体は、パトリツィオ・ベルテッリという31歳の男性でした。当時の出来事について、プラダの伝記『プラダ選ばれる理由』(2015年、実業之日本社)から引用しましょう。

“ミウッチャは形だけの自己紹介を行ってから、できるだけ冷たい視線を投げかけながらコピー製品について非難した。精巧にコピーされているとは言え、彼女の眼には、かつては王室御用達であった、誇り高きオリジナル商品とは、明らかに違う部分がある事は一目瞭然だった。(中略)

 彼女の前にいる若い男は、意見の衝突を避けたがるどころか、むしろ喜んで彼女の非難を受け止めた。そして一つひとつきちんと応じただけでなく、優れたポーカープレイヤーのように、いつの間にか攻勢に転じた。

「(とりあえずはビジネスで)自分とくめば、世間に大きなインパクトを与えられますよ。」

 と言って彼女を説得しようとしたのである。(中略)

 数週間後、二人は一緒に仕事を始める事になった。

 しばらくすると二人は、互いの事を知りたい、交際したいと望むようになった”

※3 ミウッチャと言えば、姉妹ブランドである「miumiu」もとても人気ですね。ミウッチャの幼少期のニックネームから名付けられたこのブランドは、1993年に誕生しました。プラダと比べ全体的にガーリーな雰囲気で、主に若い女性からの人気が高い印象です。クリーンなアイテムに色っぽいエッセンスを混ぜるのが上手なブランドだなと思います。