任天堂がテトリスを販売し
熱狂的なファンを生み出した
いまやテトリスは時代遅れのように感じられ、発表された当時の衝撃は忘れられがちだ。1984年にロシアのコンピューター科学者アレクセイ・パジトノフによって発明されたこのゲームは、ソビエト連邦の終焉期にフロッピーディスクを通じて広まった。
そしてソフトウェア仲介業者のロバート・スタインがハンガリー旅行中にこのゲームを偶然発見すると、テトリスの欧米での販売権をめぐる熾烈な争いが起きた。最終的に任天堂が勝利し、ニンテンドー・エンターテインメント・システム(NES)【1985年に発表された北米版のファミリーコンピュータ(ファミコン)】用の決定版を開発して数百万本を売り上げ、熱狂的なファンの世代を生み出した。
ほとんどのプレイヤーにとって、テトリスは単なる娯楽だったが、とりつかれたように夢中になる者もいた。初期の記録保持者の1人であるベン・マレンは、自分のプレイに関する詳細な統計を取り、パフォーマンスを最適化するための隠れたパターンを見つけようとした。
「実はコーヒーを飲んでからちょうど30分後に、いちばん上手くテトリスをプレイできることがわかったんだ」と彼は報告している。
ハリー・ホンはあまりに多くプレイしたため、マメができないようシャツを親指とコントローラーの間に挟まなければならないほどだった。
また、落ちてくるブロックの幻覚を見る(これは後に「テトリス効果」と呼ばれるようになる)ようになるまでプレイした者もいた。しかし彼らがどれほど熱心であったとしても、セーリーのような現代のプレイヤーが難なく披露するパフォーマンスには遠く及ばなかった。
ユーチューブの登場で
世界記録の秘密が丸裸に
テトリスプレイヤーたちの熟練度が劇的に上がった理由を理解する手がかりは、彼らがどのように自身の成果を公表したかを観察することで得られる。
初期の公式記録は、ビデオゲームの記録データベースであるツイン・ギャラクシーズによって管理されていた。
プレイヤーたちが何らかの形で証明を添えてハイスコアを提出すると、審査が行われ、正当と認められればウェブサイト上のリーダーボードにそのスコアが掲載されるのである。しかしこのプロセスではプレイヤーがプレイの記録を十分に残せず、結果を提出できないこともあった。