「死にたい」が
封じられることの危険

 しかし、ひたすらに「死にたい」という気持ちを聴くことが可能になるためには、聴く側の人間自身が「道徳」という規範から自由になっていなければならないという問題があります。つまり、「死にたいなんて考えるのはよくないことだ」という一般的な道徳の範疇に留まっている限り、「死にたい」人間の気持ちに「共感」することには原理的な無理があるわけです。

 私たちは日頃、「死」というものから遠ざかって生活しているために、「死」という言葉を耳にしただけで、あわてふためいて、目をそむけてしまいがちです。それゆえに、「死にたい」という苦しみが吐露された場合に、それを受け止めきれずに、つい「道徳」や「ポジティブシンキング」などを持ちだして、もうそんなことを相手が考えないようにと封じ込めるような応対をしてしまうのです。

 厳しい指摘かも知れませんが、先ほど挙げたような応対では、相手のことを思って発言しているように見えて、実は「死」から目をそむけたいという無意識が現われた発言になってしまっているわけです。

 死にたいと打ち明けた人は、そのような反応が返ってきた場合に、「もうこの人には本当の気持ちを打ち明けるのはよそう」と考えて心を閉ざしてしまい、「大丈夫。もう死にたいなんて思わないから」と元気な自分を演じ始めるという、痛々しいことになってしまいます。そうして「死にたい」がどこにも言えないような状況がつくられてしまった場合にこそ、最も自殺の危険が高まってしまうことになります。

回復期における
「衝動的な自殺」に要注意

 内因性うつ病など、古典的なタイプの「うつ病」(第5回参照)の場合には、通常、発症以前には「死にたい」という気持ちは存在していません。しかし「うつ病」の病的な働きによって、病状がある程度以上悪化したところから、唐突に「死にたい」という気持ちが出現してくる傾向があります。クライアント自身にとっても、それはどうにも制御不能なものとして、強くのしかかって来ます。

 しかし、「うつ」状態がとてもひどい時期には、すべての意欲も活動性も落ちていますから、かえって自殺の意欲も弱まっていることが多いものです。むしろ心配なのは、その後復調していく途上において、意欲が回復してくるときなのです。いまだ不安定に揺れる気分と、ある程度回復した意欲とが、不幸にも「自殺の意欲」という方向で合体してしまったときに、衝動的に自殺が完遂されてしまう危険があるのです。

 気を付けなければならないのは、このような回復期においてクライアントは、決して持続的・計画的に自殺を考えているわけではなく、「早く治りたい」「治ったらあんなこともこんなこともしよう」と前向きなことを考えられる状態も混在しているので、直前まで自殺衝動が予測しにくいという点です。この「回復期にこそリスクが高まる」ということは、ぜひ皆さんに知っておいて頂きたい重要なポイントです。