ITフォレスト社長 恒吉順二
ITフォレスト社長 恒吉順二

 時は1997年11月、恒吉順二がシステム受託開発会社のITフォレストを創業してから数週間後のことだった。

 突如、ニュース速報で「山一證券、自主廃業へ」とのテロップが流れ、恒吉は愕然となる。無理もない。数千万円の出資を受ける予定の2社のうちの一社が、この山一のシステム子会社だったのだ。

 さらに山一から仕事も請け負っていた。すでにこの時点で、創業メンバー7人のうち2人が山一本体に常駐し、山一の社員と一緒に仕事を始めていた。

 「常駐していた社員から電話がかかってきて『どうしましょうか』と言われたが、目の前の仕事をこなせ、と言うのが精一杯だった」と当時を振り返る。その後、無事に出資金は振り込まれたが、当然ながら山一の仕事はなくなってしまう。

 だが、出資を受ける予定のもう1社、外資系大手IT企業のおかげで事なきを得る。山一廃業のニュースから1週間後、失った仕事量に匹敵する仕事を発注してくれたのだ。これで会社を軌道に乗せることができた。

ダブルピラミッド方式で
日本と中国を一体化しシステム開発を行なう

 それにしても創業まもないベンチャー企業に、山一などの大手が発注することは珍しい。

 じつは両大手企業の担当者とは、大学卒業後に就職した独立系システムエンジニアリング会社時代からの縁。恒吉のエンジニアとしての技術力を高く評価し、「恒吉が会社をつくるなら発注してやろう」と言ってくれた。

 だがなにより、当時では珍しい「中国オフショア開発」の影響が大きかった。これは日本で受注した仕事を中国子会社の中国人エンジニアがこなす仕組みだ。今でこそ当たり前の海外発注だが、当時は大手IT企業でもほとんど例のないことだった。