世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにする。
(To organize the world's information and make it universally accessible and useful.)

グーグル

 1996年、スタンフォード大学で出会ったラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンは博士課程の共同研究を進めるなかで、ウェブ検索に関するひとつの仮説を見つけます。ヒントになったのは、学術論文の「引用」の仕組みでした。

 論文の価値を測る指標のひとつとして、「他の論文にどれだけ引用されたか」が用いられることがあります。ノーベル賞受賞者のものともなれば、一万もの論文に引用されることも珍しくありません。

 ウェブサイトも同様に、他の優良なサイトからのリンクが多いほど人気が高いと言えるのではないか。リンクされることを、ひとつの人気投票としてランクづけすることを思いついたのです。

 こうして生まれたバックラブ(BackRub)という検索エンジンは、1997年にグーグル(Google)という名前に変わり、2000年には世界最大の検索エンジンへと発展を遂げていきます。

 ペイジとブリンのふたりには、最初から壮大なビジョンがあったわけではありません。純粋にアカデミックな興味から始まったものが、指導教官やベンチャーキャピタリストと出会いながら、少しずつビジネスになっていったのでした。

 すっきりとしてセンスのいいトップ画面にしても、もともとはデザイナーに払うお金がなかったためにシンプルにせざるをえなかったという理由から始まっています。

 また、開発して間もない頃は、ヤフーやアルタビスタといった、先行して検索サービスを提供した企業にシステムの売却を持ちかけています。しかし、いずれにも断られてしまったために、ふたりは大学を離れて起業の道を選ぶことになったのです。

 限られた資金の中で、理想の検索システムを追い求める日々が続きました。やがてふたりは徐々に自分たちの仕事に、検索エンジンの開発以上の使命を感じるようになります。

 思い描いたのは、自分たちのサービスが「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにする」という未来でした。このビジョンに共感した投資家たちは、まだ収益化する方法もないうちに多額の投資を決めています。

 ペイジは、目標を立てるコツについて「不可能に思えることはできるだけ無視の姿勢で」と語っています。誰もが無理だと思うようなことでなければ挑戦する価値がない。

 当時、検索エンジンはそこまで人々から期待されていませんでした。多くのライバルたちはヤフーのようなポータルサイトを指向して競争を繰り広げており、検索エンジンは「おまけ」扱いだったのです。目指している未来が他とは違ったグーグルは、次々と世界中の情報を整理するサービスを生み出していきます。

 2001年に、ネット上の画像検索サービスが始まったのを皮切りに、デスクトップ検索、グーグルマップ、グーグルニュースなど、オンライン上のテキストのみならず、ニュースや、地図や、動画や、自分で作成したファイルまで検索できるようになりました。

 ストリートビューでは、世界中の風景まで情報として手に入れられるようになり、図書館のデジタル化プロジェクトでは、スタンフォード、ハーバード、ミシガンをはじめ、世界中の大学図書館の蔵書を電子化して公開する作業を進めています。

 グーグルアートプロジェクトという、世界的に有名な美術館をバーチャル訪問する試みも行われました。一部で物議を醸しましたが、遺伝子「情報」にもグーグルの技術を応用して、生物学、医学に役立てようと試みたこともあります。

 グーグルの言う「世界中の情報」とは、もはやネット上の情報にとどまりません。文字通り、街、室内、書籍、体内など世界のすべてを情報化し、体系を与えて整理しようとしているのです。グーグルが世界中の情報を整理することは、もうそれほど不可能な話ではなさそうです。