シェアハウス、闇カジノ、ドラッグ…脱法化の進む社会

開沼 「規制強化と脱法のループ」は様々なところで起こっていますよね。例えば、『漂白される社会』(ダイヤモンド社)でも扱ったシェアハウスの負の側面が、ここ数ヵ月、毎日新聞が繰り広げる「脱法ハウス」追求にも現れています。貧困層に向けたシェアハウスに調査が入ったら、様々な点で脱法的な居住の実態があったと。

 ただ、これを規制強化しても、そう簡単に「脱法ハウス」自体はなくなりません。そもそも、ネットカフェ難民問題以来、他に住むところがない人のニーズに応えて「住まいのあり方のイノベーション」が起こってきました。今取り沙汰されている「脱法ハウス」はその1つの形態にすぎず、これもダメとされたら、また別な形態が生まれるだけです。

磯部 <VANITY>の摘発のときも脱法クラブと書かれていました(笑)。

開沼 博(かいぬま・ひろし)
社会学者、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員。1984年、福島県いわき市生まれ。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。専攻は社会学。学術誌のほか、「文藝春秋」「AERA」などの媒体にルポルタージュ・評論・書評などを執筆。読売新聞読書委員(2013年~)。
主な著書に、『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、『フクシマの正義「日本の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)、『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)など。
第65回毎日出版文化賞人文・社会部門、第32回エネルギーフォーラム賞特別賞。

開沼 何でも「脱法、脱法」と言って、騒いで潰す対象にするパターンができ始めてますよね。シェアハウスにはいろいろな問題があり、それがいつか規制の対象になるだろうと運営者も認識していることは『漂白される社会』でも書いています。

 当然、別な脱法方法を用いたシェアハウスもすでに試され出しています。脱法ドラック、脱法クラブ、脱法シェアハウス…「脱法シリーズ」からは今後も目が話せません。

 脱法ドラックについて言えば、お金のない人がクロコダイルのような安くて質の悪いドラッグで廃人になってしまうような現状もあるし、脱法ハウスの場合では、そこがなくなってしまうと路頭に迷うしかない人たちにとって、闇のセーフティネットになっていることもあります。

磯部 セーフティネットとしての脱法すら許されなくなってくると。

開沼 結局、「脱法シリーズ」を漂白していくと、闇のセーフティネットすらも壊してしまい、周縁的な人たちを唯一飲み込める場所、カッコ付きの「包摂」、良いとは言い切れない包摂をなすものが消されていきます。

磯部 『漂白される社会』では、脱法ドラッグに関して、日本人はドラッグに対してアレルギーを持っているからこそ脱法側に逃げ込んでいくと書かれていましたが、僕は、すでに違う段階に入っていると思っています。とある脱法ドラッグのヘビー・ユーザーに言わせると、脱法ドラッグ業者は、これまでの、指定薬物が増えるたびに新たな近似成分を開発するという脱法方法から、今年3月の包括指定以降は、指定薬物を複数混ぜることで検出のコストを上げるという脱法方法へと戦略を変えているそうです。脱法というか、完全に違法なんですが。

 そして、化学構造をいじったり、混ぜ合わせたりといった脱法を繰り返した末に、ピュアな違法薬物では得られないような効果を獲得する。結果、脱法ドラッグを、「捕まらないならやってみよう」と試した素人が、意識障害を起こして救急搬送され新聞沙汰になるような、違法ドラッグの代替物としての段階は終わり、むしろ、「より強烈だからやる」という、脱法ドラック・アディクトが次々と生まれている。

開沼 なるほど。

磯部 ちなみに、先にその傾向があったのがアメリカなんですよね。ドラッグに対するリテラシーが高いという表現が適切かどうかはわかりませんが、アメリカでは、例えばマリファナが合法の地域もあるわけです。それでも、なぜ、脱法ドラッグに手を出すのかというと、単純な話、脱法のほうが強烈だからですよ。日本もその段階に進んでいるのではないか。

 脱法ドラッグ・アディクトの治療を終えたばかりの作家の石丸元章さんにお話を伺った際、「最初は捕まらないことが魅力的だったが、徐々に脱法ドラッグ特有の効果に魅せられていった」とおっしゃっていたのが印象的でした。

 石丸さんがハマっていたのは「a-PVP」という覚醒剤の数倍の効果があると言われるもので、現在はすでに麻薬に指定。俳優の清水健太郎が7回目に捕まったのも尿検査でa-PVPが検出されたからです。彼は、つい先日も脱法ドラッグのオーバードーズで搬送されており、脱法ドラッグ・アディクトになっている可能性があります。

 つまり、違法ドラッグを潰し、続いて、脱法ドラッグを潰していった結果として生まれたのが、新たなアディクトだと。薬物犯罪は再犯率が高いと言いますが、捕まえるだけで、アディクトを治療をしないのだから当たり前です。果たして、根本的な対策を取ろうとしない警察が、地下すら浄化することは可能なんでしょうかね。

開沼 一歩引いて冷めた目で見れば、おそらく、それはそれで多くの人が満足できて、安心できる社会になっているということでもあるのでしょう。ただ、文化を語る者は、「それでいいのか?」という疑問を問い続けなければならないとも思います。

磯部 歌舞伎町の話に戻ると、先ほど、話したような客引きが多い東通りや区役所通りは治安が悪くなったとも言えるものの、中央通りは明らかに低年齢化しましたし、さくら通りに出来た<ロボットレストラン>のようなスポットのおかげで、外国人観光客も増えた。コマ劇の跡地では、それこそ、ダンス・イベントが開催されて、健全に盛り上がったりもしている。

 この傾向は、その跡地にシネコンとシティホテルが入るビルが建つことでさらに進むでしょう。文化を語る者は猥雑さこそ豊かなものとして評価しがちですけど、浄化が生む新たな展開もあるかもしれないということは忘れてはいけないと思います。

開沼 その通りですね。見方によって是か非かは変わります。そうであるが故に、この流れが簡単には止まらないということに自覚的であるべきでしょう。それに対して、磯部さんはどういう立ち位置をとっていますか?『漂白される社会』の中では、もう少し見るしかない、つまり、判断を保留しています。

磯部 僕も判断を保留するしかないのかなと思いますし、あるいはそうすることで、両義性を担保しているとも言えますよね。文化は批評家や運動家が考えるよりもしたたかで、いたちごっこというメカニズムの中でこそ発展していくという面もある。「権力による規制が文化を殺す!」というような真っ当な批判も大切ですが、それだけでは現実を描写することはできないでしょうね。