「開運!なんでも鑑定団」でおなじみ北原照久氏と、東京ディズニーランド伝説のマーケター渡邊喜一郎氏の「仕事と人生」論。コレクションとディズニー――「好き」を仕事にし続けている熱い二人が語る、仕事や人生を選ぶ際に大切にしたいこととは?なぜ「倍返し」はダメなのか?
東京ディズニーランドを作るときに、「怖い」なんてなかった
大学時代にスキー留学したヨーロッパで、ものを大切にする人たちの文化に触れ、古い時計や生活骨董、ポスター等の収集を始める。その後、ブリキのおもちゃに出会い、収集を始める、「多くの人にコレクションを見て楽しんでもらいたい」という思いで、1986年4月、横浜山手に「ブリキのおもちゃ博物館」を開館。
平成15年11月より6年間、フロリダディズニーワールドにて「Tin Toy Stories Made in Japan」のイベントを開催。
現在、テレビ東京「開運!なんでも鑑定団」に鑑定士として出演、また、CM、各地での講演会、トークショー等でも活躍中。株式会社トーイズ代表取締役、横浜ブリキのおもちゃ博物館館長。
渡邊喜一郎
1959年、東京生まれ。1981年、大卒/高卒の定期採用2期生として、(株)オリエンタルランド入社、マーケティング部に配属。
「年間入場者1000万人」というミッションのもと、知名度2割の状態から東京ディズニーランドのオープンに向け、知名度向上、集客、ブランディング、プライシングから旅行プランの作成まで幅広く携わる。開業後はリピーター獲得、マスコミ対応などに尽力し、2年目に1000万人を達成した。その後、開発部に異動し、オフィシャルホテル開発、ディズニーリゾート全体の開発などを手がけた。ディズニーでのマーケティング経験を活かし、(株)日産自動車、日本電信電話株式会社、Universal Studios Entertainment、(株)トミー(現・タカラトミー)などを経て(株)アトラス取締役、(株)メディア工房取締役常務執行役員を務める。
北原 この本を読んで、「もう、本当にそのとおりだな」と感動しました。読んですぐに渡邊さんに「すごく良かった!」と電話しましたよね(笑)。
渡邊 ありがとうございます。北原さんからお電話いただいて、私もすごくほっとしました。今思えば、「ゼロから東京ディズニーランドを作って1000万人集客する」というミッションや、北原さんの「コレクターとして生きていく」という目標は、傍から見るとチャレンジングですよね。
北原 そうかもしれませんね。ただ、カネなしコネなしの状態で初めて「ブリキのおもちゃ博物館」を横浜にオープンさせたときも、怖いという気持ちはまったくありませんでした。「結婚していて子どももいる、失敗したら大変だ、やっぱりやめよう」なんて思ったこともない。
渡邊 「怖い」という気持ちは何も生み出しませんよね。私がまさに東京ディズニーランドのマーケターとして、どうやって人を集めよう、リピーターを増やそう、と試行錯誤しているときには「どうせすぐ潰れるでしょう」「3年が関の山」「浦安に人は集まらない」など、たくさんの嫌味を言われました。
北原 ああ、そうだ、そういう雰囲気もありましたよね。今じゃ考えられないですけれど。でも、渡邊さんは学生時代、アメリカのディズニーランドに何度も行っていて、それで「絶対できる」と思っていたんでしょう?
渡邊 はい。信じていましたし、「こんな素晴らしいものが日本にできたら最高じゃないか」というふうに、楽しいことばかり考えていましたね(笑)。
北原 やっぱり、本物・実物を見ているからですよね。そこには、日本の遊園地とは全く違うスケールがあり、クオリティがあり、楽しそうに働くキャストがいて、何よりウォルト・ディズニーの考え方が浸透している。
つまり、「ディズニーランドなんてもって3年だ、期間限定だ」と言う人たちは、実物を見てないからそう言えたんです。私はコレクターですから、実物を見ていない人に色々と言われるというのはよく分かります(笑)。「これは誰が考えたんだろう、誰が作ったんだろう」という好奇心や集めるときのワクワクは、実物を見ていない人にはわからない。だから、この本に書いてあるディズニーやマーケティングの素晴らしさというのは、コレクターとして非常に胸に沁みました。「そうそう、まだ目の前にないものを人に伝えて、しかも動かすのって大変だよね」、と。
渡邊 そうですね、その素晴らしさを知らない人に何を言われても、全然気にもなりませんでした。それはやっぱり、まだ見ぬ東京ディズニーランドの魅力を信じていたからだと思います。