日本企業の機動力は
なぜ失われてしまったか

 そもそも機動力が肝となる「機動戦」とは、指揮官の意思決定や兵力の移動・集中を迅速に行うことで敵の優位に立ち、敵を殲滅せんとする戦闘方法をいう。上からの指揮命令よりも、現場の状況判断とそれに基づいた率先垂範の行動に重きを置く戦い方だ。

 知的機動力経営とは、この機動戦の定義にならい、ミドルを中心とした現場の人材がすべてリーダーとなって、付加価値の源泉である知識を高速かつテンポよく創造し、上は企業戦略のレベルから下は日常の仕事のレベルまで、社員一人ひとりが柔軟な構想力と行動力を発揮している経営のことだ。

 本書終章の鼎談で、私はこう述べた。日本企業は中国企業や韓国企業に、リスクを取りに行く積極果敢の精神と物事を進めるスピード、この2つをもっと学ぶべきだと。まさにそれこそが機動力なのであり、最近の日本企業に圧倒的に欠けている部分だ。

 以前は機動力のある日本企業が多かったのに、なぜそうなってしまったのか。

 私はその原因を、2000年あたりから「選択と集中」「成果主義」「株主利益の最大化」といった欧米企業のやり方を安易に模倣した、「数値で計測できる経営指標」を各企業がこぞって取り入れたことに求める。それによって、企業の目的は何か、自分は何のために働くのか、という各人の主観や価値観が顧みられなくなってしまった。その結果、組織内で社員を育成する余裕が無くなり、一方で人事部は現場から遊離して、予定調和のコンピテンシーを追求するような傍観者的観念論で人事を動かすようになってしまった。そのことが日本企業の機動力を毀損させたのではないだろうか。

 主観や価値観といった暗黙知を共有している組織は物事が決まりやすい。逆の場合は、何かが起こるたびに角突き合わせた議論が必要になり、欧米流のトップダウン経営はともかく、ミドルが強い日本流の組織では必然的に経営のスピードが落ちてしまう。

 日本企業が知的機動力を取り戻すには、そうした理論分析過多症、経営計画過多症、コンプライアンス過多症を脱しつつ、思いを持ったリーダーをつくることから始めなければならないだろう。