さらに、ラベルにもこだわりました。

 <獺祭>の書は、同じく山口県出身の書家・山口一遊さんの手によるものです。

 当時、酒瓶に貼るラベルは、大阪や金沢のラベル専門会社にデザインしてもらうのが一般的だったため、どの日本酒のラベルも字やデザインが似通ってしまっていました。それを避けるため、自分たちで山本さんに書を頼み、デザインして、今のラベルを完成させていったのです。
 今は、大手広告代理店の有名クリエイターにも関わってもらっていますが、「クリエイターさん独自の色がつかないよう極力デザインはせず、おかしなところだけ直してほしい」とお願いしています。

ともかくムダを排除し、シンプルさを追求した結果が、今のラベルなのです。

 ただ実を言うと、新たな銘柄が決まったからといって、旧い「旭富士」をアッサリ簡単に捨てられたわけではありませんでした。地元用の普通酒として細々と販売を続けていて、「まだあるの?」と問われるほど存在感が希薄になってからも、地元用の普通酒として細々と販売を続けました。

 ときに合理主義者などと評される私ですが、やはり先祖から伝わり、自分だけでも40年以上にわたって食わせてもらった<旭富士>には郷愁もあります。「お客様にいらない、と言われるまでは」と、製造をやめる踏ん切りがなかなかつかなかったのです。

 しかし、2000年代に入ると、地元の酒屋が全国区のフランチャイズであるコンビニエンスストアにどんどん置き換わった影響などから取引が減り、売り上げが急減していきました。最後は年間300本(1升瓶換算)ほどしか売り上げがなく、その原価率は純米大吟醸を上回るほど採算性が悪化したのです。
 そこまでいって、ようやく私としても<旭富士>をやめて、<獺祭>に一本化する決心がつきました。