宮沢喜一元首相が首相になる前の話。彼は「資産倍増政策」を発表して話題になった。債権大国となり貯蓄過剰と言われた時代。その潤沢な資金を使って一気に社会資本を整備しようという画期的な提案であった。しかも産業関連社会資本より、緑地、公園、上下水道、住宅など生活関連の社会資本を倍増しようというのがその提案の特色だった。

 その政策が、宮沢内閣ができて「生活大国5ヵ年計画」に発展するのだが、私はその過程に深く関わった。

宮沢元首相と安倍首相の語る
「美しい日本」の意味合いの違い

 その間、私はいくつかの主張を譲らずにかなり宮沢氏を悩ませたが、その1つに美観(景観)政策がある。

「どうせつくるなら美しいものをつくりましょう」と私は社会資本の美観を強く主張し続けた。市街地再開発はもちろん、橋や学校でも、金をかけて良質で長持ちして美しいものをつくる。橋でも1つ1つが個性的でその地の景観を高めるようなもの。珍奇でけばけばしいものではなく、ごくオーソドックスな建造物、そうして日本列島の景観の値打ちを飛躍的に高めようと。

 これに対して宮沢氏はこう言った。

「われわれ大正生まれは苦しい時代を生きたせいか、ラジオは音がすればよいし、自転車は動けばよい。色や形はどうでもいいと思っちゃうんだよなあ」

 しかし、私のこだわりが大きいのを知って資産倍増政策について語った著書名を『美しい日本への挑戦』としてくれた。

 もちろん宮沢氏の「美しい日本」は、第一次内閣で安倍晋三首相が使った「美しい日本」とは違うもの。どちらかと言うと安倍晋三首相は精神主義の美しさだが、宮沢氏はあくまでも物や風景の美しさを言っている。

 宮沢氏は一貫して、「政治は人の精神や心に立ち入るべきではない」ことを信条としていたのである。