大体受験料の相場が3万5000円。12万人が受けると、42億円の“売り上げ”になります。しかし、もし入試問題が論述、記述形式で難しくなると、受験生は敬遠します。仮に半減すれば、20億円規模の減収となってしまいます。

 現に、慶應大学は、文系学部の大半で論文を課し、英語も論述式の問題があったりします。数学の受験も多い。となるとどうなるか? 数学嫌い、論述嫌いの詰め込み型の勉強に慣れた受験生からは敬遠されてしまうので、受験者数は圧倒的に少なくなります。受験生は5万人を切り、受験者数ランキングでも20位に入らなくなっています。

 受験料収入も10億円強。大学の収入に占める受験料の割合をみると、大体ですが、慶應は2%。一方、早稲田は5%、明治は6%程度です。慶應は良問入試をやることによって、大幅な収入減になっているのです。

 それでも慶應の経営が成り立つのは、どうしてなのでしょうか。

 ご存じのように慶應はOBからの寄付金が盛んです。寄付による収入の割合をみると、慶應は4%ですが、早稲田は卒業生の数で圧倒しているのにもかかわらず1%程度です。慶應はOB/OGの寄付のおかげで、手間隙かけた入試が可能になっている構図が浮かび上がってきます。

 しかし慶應、東大、京大がいくら良い入試をやっても、三校の総受験生は、全体からみれば限られています。結局、マークシート型がマジョリティを握り、デファクトスタンダードになっています。したがって、高校の学校長、予備校、高校生にとってはマークシート型入試が最大のマジョリティなので、そこに受かるための近道を追求し続けるわけです。

文部科学副大臣時代に
やり残した「幻の解決策」

 慶應の事例をみても分かるように、一部の大学だけで良い入試をやっても限界があります。仮に早稲田だけが突然、入試問題を変えたところで他の大学に受験生を取られて経営的な損をするだけです。まさに、悪循環。抜本的に改めるには、社会全体で同時一斉に進める必要があります。

 書を読み、友や師と語り、仲間と何かに打ち込んできた高校生活を評価する入学者選考にエネルギーを注ぎ、その学生を手塩にかけて育て、真の事を為せる人材を企業の採用担当者が見抜き、そうした高校大学生活を送ることが実社会で評価されるということが、しっかり、高校や大学の現場に伝われば、また、それに高校や大学の現場もしっかりと応えていけば、今の入試制度は変わります。