beingで、認めるということ

坪田 僕らは、そもそも他人を褒めること、認めること、相手の美点を伝えることに慣れてなさすぎるんですよ。僕に言わせれば、それもやっぱり訓練です。今、1クラスに40人の生徒がいて、先生は一人です。だから先生は、生徒一人ひとりをちゃんと見ることはなかなかできない。親だって、仕事だ何だとかあったりして、子どものことをなかなか見られていないじゃないですか。
 でも、一対一で、明確に、何度も伝える瞬間があるんですね。それは何かというと、叱るときなんです。何か悪いことをしたときは、30分でも1時間でも徹底的に叱る。だけど、1時間褒められ続けた経験は、ほとんどの人がないんです。だから、一対一で徹底的に見てもらえるときは、自分が悪いときだけ。
 逆に、いいこと、できたことは、「すばらしいね、よかったね、偉いじゃん」って、一言で終わってしまったりして。「どれだけ、あなたがすばらしいのか」というのは、なかなか聞けない。そんな親子間の関係が脈々と受け継がれているからこそ、自分の子どもに、その子のよさを伝えられなくなっているんです。

佐々木 いい褒め方というものはありますか?

坪田 褒め方というよりは、認め方ですね。それにはdoing、having、beingっていう大きく三つがあります。Doingっていうのは行動。たとえば、「お風呂掃除してくれて偉いね」と、行動を褒める。でも逆に言えば、「お風呂掃除してないあなたは偉くない」ということになるんです。だから「自分ダメだな」になる。Havingとは、いわば、自分が持ってること、所属してること。「学年で1位なんてすごいね」これも、そうじゃなかったらダメだ、です。
 でも、本来みんな、being、存在を認めているものなんです。たとえばお母さん。わが子が犯罪を犯して、刑務所に入れられました。最初は多分、「なんでそんなことしたの!」となるかもしれないけど、一年か二年もすれば、「やっぱり何だかんだ言っても、お腹を痛めた子だから」と、社会がどれだけ敵だとみなしても唯一の理解者なんです。だから、親御さんはどのお子さんのことも、beingで愛してるんですよ。

佐々木 お父さんも含めてですか。

坪田 そうです。子どもに対してはみな一緒です。にもかかわらず、伝えてることは全部doingとhaving。しかも、それを集中的に伝えてるときは、叱るときなんですよね。これが、僕はもったいないと思っているんです。
 結局、子どもも社会に出たら嫌でもdoingとhavingで評価されます。会社で怒られることも多々ある中で、たとえば、一日一分でもお母さんが、「私はあなたのことを愛してるからね」「ほんとに大切なんだよ」「あなたはどういう状況でもすばらしいのよ」といった内容を言ってくれていたら、その人の人生は大きく変わると思います。その瞬間はうざいと思うかもしれないけどね。特に何か大きな挫折があったときに「いつでも帰って来ていいからね」と言われていたら「田舎帰ろうかな。でももうちょっと頑張ってみるかな」と、前へ進む力がわき出てくるのかなと思うんですよね。