今回ご紹介するのは、「日本の近代資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一の自伝『現代語訳 経営論語 渋沢流・仕事と生き方』です。幕末と明治時代を生きた日本の大実業家は、どのような理念を持って生きていたのでしょうか。

判断に迷ったとき
よりどころになる『論語』

 6月15日から25日までの日程で、カタールの首都ドーハで開催されている第38回ユネスコ世界遺産委員会は、20~21日にかけて行われる予定の審議において、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界文化遺産登録を正式決定する見通しです。

 群馬県富岡市にある富岡製糸場は、埼玉県深谷市出身の実業家で“日本の近代資本主義の父”といわれた渋沢栄一が、器械製糸の導入と技術者の養成を意図して企画したものでした。渋沢は30歳の若さで製糸場設置主任に就任し、同郷のいとこで初代製糸場長を務めた尾高惇忠とともに、創業時の中心的役割を担いました。1872(明治5)年に稼働したこの製糸場は日本の殖産興業に大きな影響を与え、その後1893(明治26)年には三井家に払い下げられて民間活力の促進が図られたことはご承知のとおりです。

『現代語訳 経営論語 渋沢流・仕事と生き方』 2010年12月刊。シックな印象を与える装丁です。

 10歳上のいとこの尾高は、渋沢にとって、幼少期から習っていた論語の師匠でもありました。尾高と渋沢が生まれ育った地域一帯や論語を習いに通った道は、いつのころからか「論語の里」「論語の道」と呼ばれるようになり、深谷市は現在、論語の里の整備計画を策定しています。それはともかく、冬は積雪・空っ風、夏は高温・雷雨の中でも草履を履いて論語を口ずさみながら、渋沢は毎日この道を往復したのだそうです。なぜ、論語なのか。渋沢は本書『現代語訳 経営論語 渋沢流・仕事と生き方』の中で以下のように述べています。

 ことに『論語』には実生活に生かせる道理が詳細に説かれているので、これに従えばどんなことに対しても誤った判断をすることはないだろうと思い、何か判断に苦しむようなことが起こっても、『論語』に基づく尺度(ものさし)をもって決めれば過ちを犯すことはないと信じたのである。そして、明治六年(一八七三)に実業に従事して以来、このような貴重な尺度があるのに、これを用いず、別の何かによるべきではないかなどと迷う必要はないことに気づいて、『論語』を肝に銘じてその実践躬行に努めることにしたのである。

『論語』には、実業家にとって金科玉条とするべき教訓が実にたくさんある。(4ページ)