東京音楽学校へ自転車で通う美少女(1900年)

 明治の終わりに『魔風恋風』という新聞小説が人気を集めていた。主人公は帝国女子学院を卒業する間際の美少女、萩原初野。

 主人公が登場する最初の情景はこうだ。

「(略)此の時しも坂の曲角に立つ人々の眼は、皆一様に輝いて下の方に向いた。此方に立つ群衆も、そりやこそ御出だと首を伸し、人の背後なるは足を爪立てた。/鈴(ベル)の音高く、現れたのはすらりとした肩の滑り、デートン色の自転車に海老茶の袴、髪は結ひ流しにして、白リボン清く、着物は矢絣(やがすり)の風通(ふうつう)、袖長けれど風に靡(なび)いて、色美しく品高き十八九の令嬢である。/両側に列ぶ幾万の目は、只だ此の自転車を逐うて輝くのであるが、娘は学校にのみ心急ぐか、夫(それ)とも群集の前を羞かしいのか、切(しき)りにペダルを強く踏んで、坂を登れば一直線に、傍目も触らず正門を指して駈付けんとすると、今しも腕車を曳き込んだ雑踏の間から、向う側に移らんとしたらしく、二人の書生が不意に躍出した。/曲角の出合頭、互に避くる暇もない、後なる書生に自転車が衝突(つきあた)つたと思ふ間も無く、令嬢の體は横樣に八九尺も彼方に投げられ、書生は仰向きに其處(そこ)に倒れたのである」(小杉天外『魔風恋風』新潮文庫、1938)。

 小杉天外(1865-1952)はすでに忘れられた作家だが、1900年代から20年代、明治末から大正期に流行作家として知られていた。『魔風恋風』は1903(明治36)年2月から9月まで「読売新聞」に連載された小説である。単行本は1904年に春陽堂から3分冊で発売され、ベストセラーとなった。

 色彩鮮やかな書き出しによって自転車で通学する萩原初野が登場し、転倒することで悲劇的な運命まで暗示している。

 ほとんど現代の少女マンガの世界だが、実際に70年後の少女マンガ「はいからさんが通る」(大和和紀「週刊少女フレンド」1975-77年)でも自転車に乗る大正時代の女学生が海老茶の袴姿で登場する。

自転車を前に前列中央が17歳の三浦環(柴田環)、1900年の写真(吉本明光『三浦環のお蝶夫人』音楽之友社1955、原本は右文社1947)

 『魔風恋風』の「自転車美人」のモデルが三浦環(当時は柴田環)だった。小杉天外の新聞連載は1903年2月から9月、環が自転車美人と騒がれたのは1900年から数年間だから、間違いなく天外は環の姿をモデルにしたのである。

 環は1900(明治33)年9月に東京音楽学校へ入学する。17歳だった。自伝ではこう書いている。

「(略)上野の音楽学校への通学ですが、私は前髪を赤いリボンで結んで、紫の矢絣の着物に海老茶の袴、靴を履いて自転車で芝から上野に通いました。当時女が自転車に乗るのは珍しく、殊に女学生で自転車に乗るのは私と、後で女の小学校の校長さんになった木内キヤウさん位だったので大変な評判で自転車美人だなんて新聞は書きたてる(略)」(三浦環、吉本明光『三浦環のお蝶夫人』音楽之友社、1955)。

 山田耕筰(1886-1965)が東京音楽学校へ入学したのは1904年、環はこの年に卒業し、奨学金を支給されて研究科に入り、同時に「授業補助」の辞令を受けて声楽を教えた。声楽科に入学した山田耕筰の先生となったわけだ。