ペンローズと
シュンペーターの関係
ペンローズはジョンズ・ホプキンス大学で新古典派経済学の元祖の一つ、オーストリア学派の経済学者、フリッツ・マッハルプ(1902-83)のもとで博士号を取得しています。マッハルプはウィーン大学の出身で、1933年に米国へ移住し、1960年までジョンズ・ホプキンス大学教授、その後はプリンストン大学教授をつとめています。
つまり、ペンローズは新古典派経済学を学んだあとで、独自の「企業成長の理論」を考察したわけです。限界革命(1871)以降、新古典派経済学がブラックボックスに入れていた「企業」を動態的な経済成長の主役に引っぱりだしたのはジョゼフ・シュンペーター(1883-1950)でした。シュンペーターもウィーン大学の出身で、紆余曲折を経て1932年から亡くなるまでハーバード大学教授として活躍しています。
ペンローズはシュンペーターとの関係についてこう書いています。
(略)ここから想起されるのは、シュンペーター(1942)のなかにある、彼独特のドラマティックな言い回しやほとばしる創造性を剥ぎ落とした記述である。彼のいう「創造的破壊」と「吹き荒れる突風」は、「不断に古きものを破壊し、不断に新しきものを創造して、たえず内部から経済構造を変革する」というプロセスの結果であり、「この創造的破壊のプロセスこそが資本主義の本質的事実である」(筆者注:シュンペーター『資本主義・社会主義・民主主義』)。この部分に彼は脚注を加え、「変革」は現実には不断に行われるものではなく、「不連続な突進」として起きると述べている。この修正によって「創造的破壊」は、景気循環に関する彼の分析に適合的なものとなる。ベスト(Michael Best、筆者注:マサチューセッツ大学ローウェル校名誉教授)は“The New Competition”(1990)のなかで、シュンペーターは大企業が創造的破壊のエンジン――「ビッグ・アイデア」をもった企業者――となる世界として資本主義を扱っているものとみなし、これを「ペンローズ流の学習」である集団的相互作用によって生み出される結果と対照的なものと位置づけている。ベストは、シュンペーターの提示したプロセスを成功企業全般に拡大して適用し、「シュンペーター的な組織上の革新を制度化する」一つの手段として企業の戦略的行動という概念を採用している。たとえば、彼は日本企業を議論するにあたって、「日本の成功企業は、シュンペーターとペンローズを組み合わせ、それによって企業者活動の概念を、『個々人によるビッグ・アイデア』から、専門的スタッフだけでなく現場もそれに貢献しうる一つの社会的な学習プロセスへとつくりかえた」と論じている。(10-11ページ)