なぜ、彼は精神的に追い詰められたのか?

 その会社では、5年ほど前に政変があったそうです。
 社内には開発部と営業部の二大派閥があり、長年、排他的な関係にありました。ここ20年ほど優位に立ってきたのは開発部。開発部のトップが専務を務め、社長の右腕として絶大な信頼を得ていたからです。重要な意思決定では常に開発部の意向が尊重され、人事でも明らかに優遇されていました。村上さんは、その開発部で「若手のホープ」と期待されて、もてる能力をいかんなく発揮していました。

 ところが、その専務が急死。長年、ナンバー3の地位に甘んじてきた営業部のトップが専務に就任。にわかに影響力を強めることになります。
 1年ほどは、際立った波風は立たなかったそうです。しかし、あるとき、強権が発動されました。開発部の部長級が一斉に子会社に出向になるとともに、課長級にも大きな人事異動が行われたのです。

 なかでも、社内で話題になったのは村上さんの異動。営業部の重要性の低い部署の課長に異動になったのです。開発部の重要ポジションからの実質的な降格と囁かれたそうです。
 それだけではありません。その後、営業部のなかできわめて苦しい立場に立たされました。そもそも、営業経験がないうえに、重要性の低い部署の課長ですから立場が弱い。それ以上に、開発部に在籍していたころの言動が災いしました

 村上さんは、開発部が優位に立っていた時期はもちろん、政変が起きたのちも、「営業は、われわれ開発がつくった商品を売るのが仕事」「売れる商品は勝手に売れる。売れない商品をどうにかするのが営業の仕事」など、「開発部の論理」を全面に押し出していたのです。

 開発部の部長たちが放逐されたのち、自分が矢面に立ってでも開発部の利益を守らねばならないという“義侠心”の表れでもありました。しかし、それで「目」をつけられたわけです。営業部に異動後、ことあるごとにそれらの発言を蒸し返されることで、精神的に追いつめられた彼は、ついに休職するに至ったのです。

 村上さんを知る同僚は、こう嘆きました。

「営業部が完全に社内を掌握したことを示したかったんでしょうか……。まったく、見てられませんでしたよ。あれじゃ、見せしめです

 たしかに、営業部の“やり口”には感心しません。おそらく、ほとんどイジメに近い状態だったに違いありません。それに、考えてみれば、村上さんは被害者的な側面もあります。なぜなら、入社以来ずっと開発部が優位に立っていたからです。その間、社内では常に「開発部の論理」が他を圧していたはずですから、それに染まってしまうのもいたし方ない面もあるでしょう。

 しかし、それでもやはり、あまりに「セクショナリズム」に染まった村上さんには、それだけ“弱み”があったといわざるをえません。セクショナリズムに染まることは、ビジネスマンにとって大きな政治的リスクとなるのです。