トラウマを否定する映画

小林『嫌われる勇気』では、トラウマの否定というのが一番初めに出てきますよね。そこも僕としてはすごくガチッと来たんです。最近の映画って、トラウマを解消していくようなものが全盛なんです。

岸見 たしかにトラウマを使うとドラマチックにしやすいのでしょうね。

小林 ただ、トラウマを持ちだしても結論はたいしたことがないケースがわりと多い(笑)。それに気づいたとき「あ、トラウマって無くてもいいんだ」と。それはこれから自分が映画を作る上でも、すごく重要なことだと思ったんです。もっと前向きって言うか、もうちょっと幅というか、自分が犯した罪とか他人から犯された罪のせいにするんじゃないような映画を作りたい。だから『嫌われる勇気』を読んだとき、すごく先を行ってる感じがしました。

岸見 ありがとうございます。

小林 僕の映画で必ず言われるのは「人物のバックボーンが描かれていない」ということです。だから映画としてリアリティに欠けると。前作の『ももいろそらを』もそう評されました。でも、自分としてはそういうのは不必要だろうとずっと思っていたんです。

岸見 バックボーンというのは生育歴のようなものですか? たとえば、主人公の性格の由来といったような。

小林 そうです。「なぜ、こんな考え方になったのか」といったことですね。『ぼんとリンちゃん』で言えば、なぜ彼女はこんな腐女子になったのか、と。それを説明しないと観ている人はわからないと評する人がいるんです。

岸見 小林作品のそういう点も、トラウマの否定につながるのでしょうね。

小林 自分でもそう思います。

岸見 私はカウンセリングをしていますが、相談に来られる方の多くは過去のことを聞いて欲しいわけです。放っておくと何時間でも話される(笑)。以前、3回のカウンセリングでずうっと過去の話をする方がいました。で、いよいよ直近の話になったので、過去の話が終わるかと思いきや「今までは母方の話でした。今度は父方の話を」と言うわけです(笑)。もちろん、カウンセリングのときにそうしたバックボーンを聞くことが無意味なわけではありません。ただ、本当に大切なのは「これからどうしたいのか」ということなのです。ここはアドラー心理学のすごく新しくて重要なところだと思います。その意味で、バックボーンが描かれていないと評される映画というのは、新しい映画なんじゃないでしょうか。非常に興味深いです。

小林 そう言っていただけると嬉しいです。

岸見 私は『ぼんとリンちゃん』が描くオタクとか腐女子と呼ばれる人たちのことはまったく何も知りません。当然、彼ら彼女らの人生もよくわからないし、ぼんちゃんやリンちゃんの生き方もよくわからない。でも、映画のなかの二人の今の姿を感じ、これからどこに行くかを見据えていけば理解はできます。映画の最後のほうで、ぼんちゃんが人とぶつかりながら、前を向いて歩いていくシーンがあるでしょう。あそこは希望なんですよね。こんなふうにこれから生きていくんだな、すごく前向きに生きていくんだなと。前向きに生きれば必ずぶつかります。誰もいないところで歩いているわけじゃない。あのシーンはすごく象徴的だし印象的でした。

小林 まさに、嫌われる勇気を持って前向きに生きるということですね。

岸見 映画のネタばれになっちゃいましたか(笑)。

小林 いえいえ大丈夫です(笑)。