「他者貢献」としての
作品づくり

小林 僕は、『ぼんとリンちゃん』の主演女優である佐倉絵麻さんに、『嫌われる勇気』を買って渡したんです。そうしたら「すごくよかった!」と言っていました。自分の考えていたことを含め、いろいろなことが書いてあってすごく刺激になったと。

役者さんにも是非『嫌われる勇気』を読んでもらいたい、と小林監督。

岸見 本当に嬉しいです。佐倉さんに先日お会いしたときおっしゃっていましたね。オタクの人に読んで欲しいって。

小林 リンちゃん役の高杉真宙くんにも渡しておこうかな。彼もたまにけっこう深刻な話をしますから。いま彼は舞台の『里見八犬伝』の稽古をしていて、キャラクターづくりに悩んでいるようです。僕は具体的にどこがどうとは言えないんですけど、『嫌われる勇気』は役作りにもけっこう役立つんじゃないかと思います。発想の転換が促され、自分の核の部分や人生観みたいなものが変われば、いろいろなことが楽にできる気がして。楽になるっていうのは、あっけらかんとすることじゃなく、「これでいいんだ、苦しくていいんだ」とわかるという意味です。自分を変えるのは本当に自分しかいないし、ライバルがどうだとか、他者の評価とか、そういうことは気にしなくていいって思えれば、より良いものをつくる励みになるし、ものごとを多面的に見られるようになるはずです。だから、役者さんとかにも読んでみることを奨めたいですね。

岸見 プラトンは教育について「ペリアゴーゲー」という言葉を使っています。これは「向き変え」という意味です。体の向きをこちらからあちらへ変えるのが教育だと。違うほうを向いてみたら、同じことが起こっていてもまったく意味が違って見えてくる。苦しかったことが単なる苦しみではなくなるかもしれない。苦しくなくなるわけじゃないけれど、向き合い方がすっかり変わる。それが教育です。

小林 それまで当たり前だと思っていたものが、別に当たり前じゃなくなるんですね。たとえば、競争して勝つ、人より上に行く、権力を持つようなことが必ずしも成功じゃなくて、自分のゴールはやっぱり自分のなかにあるっていうことだと思います。

岸見 向きを変えて一度でもそれを見てしまったら、もはや元には戻れません。競争が当たり前、承認を求めることが当たり前だと思っていたけれど、それとは異なることをいったん知ってしまえば元には戻れないでしょう。これはきれいな喩えではありませんすが、アドラーは「カウンセリングとか心理学というものは、他人のスープに唾を吐くようなものだ」と言っています。見なければよかったけれど、いったん見てしまったらもう飲めない(笑)。

小林 それは汚い(笑)。

岸見 カウンセリングをやるというのはそんな面があります。戻れなくなる。でも、カウンセラーは自分だけが悟って戻らなくて良いというものでもない。高校時代の先生に、仏のように悟ってはいけない、菩薩になれって言われたことがあります。菩薩というのは悟る力があるにもかかわらず、あえて悟らずに衆生を救う役をするわけです。後にアドラー心理学を学び、その重要なキーワードである「他者への貢献」という言葉に出会ったとき、それと同じだと思いました。

小林 もしかすると、本を書いたり映画をつくったりすることは、まさにその衆生を救うとか、他者貢献という面があるのかもしれませんね。

岸見 そうかもしれません。その意味でもお互いこれからもよい作品を作っていきましょう。

小林 はい、今日はありがとうございました。

岸見 こちらこそありがとうございました。

(終了)