岸見 本の執筆もそうですが、やはり一作一作をしっかりつくることが大切ですよね。今出ている作品がベストセラーになったからといって、同じ作家が次もベストセラーを書けるとは限らない。それでも、やっぱり一作一作集中していく。これはもう生き方そのものです。過去の栄光にも未来の虚構にもすがらず、とりあえず今に集中する。すると「いつの間にかずいぶん遠くまで来たな」ってなるはずです。

小林 まさに、『嫌われる勇気』に出てくる「人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那だ」という部分ですね。その考え方にもすごく救われました。

岸見『嫌われる勇気』『ぼんとリンちゃん』と共通部分があるだけでなく、じつは小林監督ご自身の様々なこととも重なっていたのですね。

小林 今後映画を作っていく上でも、ヒントがいろいろ得られそうです。まだ明確にはなっていないんですが。

岸見 まだまだ、アドラー心理学を知っている人は少ないので、是非お願いします(笑)。

小林 え、そうなんですか?

岸見 作家ですと伊坂幸太郎さんとか石田衣良さんなどは、アドラーに興味をお持ちのようですが、まだまだ知らない方は多いと思います。僕は以前から、アドラー心理学に基づくホームドラマとか面白いのではないかと言っています。ただ、全然ドラマチックにはならない気がしますけど(笑)。

小林 確かにトラウマがないですからね(笑)。

「悩み」と「迷い」の違い

小林 アドラー心理学って、今の自分を考え直すきっかけ作りにもなると思います。悩んでることがあっても「なぜ悩んでるんだろう」って多面的に考えることができますよね。

岸見 アドラー心理学を学んだ上での僕の考えでは、「悩み」と「迷い」は違うと思います。悩みというのは、悩むことに目的がある。わかりますか?

小林 悩むこと自体が目的化していると?

岸見 悩みは解決しないとダメですよね。結論を出す必要がある。悩むのをやめたときには、答えを出さないといけない。でもたぶん、ぼんちゃんが言う「私、迷子になったみたい」って、そういう悩みではないはずです。ゲーテが「人間は努力している限り、迷うものだ」と言っています。努力しているとそこには「迷い」が生じる。それは悩みとは異なるものです。どんな状況でも問題は生じてくるし、努力していれば迷いが出てくる。そのこと自体はOKだと私は思います。答えが出ない以上は、迷いは受け入れておく。ただ、それがもし「悩み」だとわかったら答えは出せます。でも、答えを出しても次にまた迷いが起こるかもしれない。生きている限り迷い続け、問い続けるしかないのです。

小林 問い続けていて、いいものなんですか。

岸見 いいと思います。人間である限り、完全な答えにたどり着くことは決してない。アドラーは「絶対的真理に我々は恵まれていない」という言い方をします。「恵まれていない」というのは、出会っていないだけという意味です。絶対の真理がないのかというと、そうではない、あるのです。あるのだけれど、この世で生きている限りは、我々は不完全だからそこに到達できない。でも、問い続けることに意味がある。それが迷いになるのだと思います。