『ぼんとリンちゃん』と
「普通であることの勇気」

小林 僕は20代の頃、テレビ番組の制作に関わっていました。ただ、映像の最高峰は映画だと言われていて、いつか映画を撮りたいと考えるようになったんです。でも、日本の映画の映像があまり好きじゃなかったので、頑張って変えてやろうと思って、自分なりの強みをつくるために次はミュージックビデオの仕事を何年かやりました。でも、なかなか映画を撮ろうとはしなかった。あとから『嫌われる勇気』を読んでわかったのが、やっぱり「ダメだ」というのが明るみになっちゃうのが怖かったんでしょうね。『嫌われる勇気』のなかに出てくる小説家を目指す人の話と一緒で、「いつかやってやるけど、今は仕事が忙しくて」と。それが一番安心できる状況だったんでしょう。でも、40歳を目の前にして、「これはもう、やらないといけない」という気になったんです。

岸見 「変わらない自分への言い訳」をやめたのですね。素晴らしいと思います。

小林 あと、映画業界っていうのは「あの人は天才だ」的なことを簡単に言う世界なので、自分もそうなりたいと思っていたんです。「天才になれば全部うまくいくはずだ。仕事もいっぱいくる」と。あるとき何かの拍子に「もう天才なんか諦めよう」と思えたんですね。すると体が一気に軽くなって、自分のやれることをやればいいと思いました。等身大というか、今やれる映画を自分で作ろうと思って撮ったのが、前作『ももいろそらを』です。それがダメだったらもう映画は諦めようと。幸い、その作品は賞も頂戴できたので、これからはもっと頑張らなきゃと思うんですが、きっかけは本当に天才を諦めたところからです。『嫌われる勇気』では、それが「普通であることの勇気」という言葉で出てきましたけど、すごく僕の心に入ってきました。「普通である」ってけっこう怖いと思うんです。それを受け入れることができて、初めて自分を正しく見られるようになったんですよね。

岸見 特別よくなろうとしなくてもいいし、かといって特別悪くなろうとしなくてもいいのです。平凡でいい、普通であればいい。でも「ああ、これでいいんだ」って普通の自分を受け入れるのは本当に勇気が必要なことです。野球のバッターで言えば、いつもホームランを打つような選手でなくてもいい。その代わり、必ず一塁に行こうとする。ヒットでもデッドボールでもいいから、一塁に出られるプレイヤーを目指すっていうのが、たぶんすごく大事なのです。

小林 やっぱり最初は、誰もが観たがるような映画、ちょっと驚くような展開がある映画を目指してしまうんです。しかし予算的な都合もありますし、手探りで自分のやれることをやっていこうと考えました。けれど「果たしてこれで映画として成立しているのか」とか「やはりオールマイティな映画もつくれないとダメなんじゃないか」と心配でした。それも『嫌われる勇気』を読ませていただいたら、自分にできることを一生懸命やろう、その結果としていつの間にか何かに到達できるかもしれないと思えるようになったんですね。まず、自分のやっていることを突き詰めていけばいいと、本当に確信したわけです。

岸見 評価は後からついてきますし、それは「私の課題」ではありません。「私の課題」は自分の映画を作っていくことしかない。そのなかでレベルアップする努力を重ねていくしかないですよね。評価ばかり気にしていたら、結局、自分の映画をつくれなくなる。アドラーの言う「他人の人生を生きる」ことになってしまう。

小林 本当にそのとおりだと思います。