また伊達市は、2007年に「優良田園住宅」と名付けた宅地分譲を始めた。自然環境に恵まれた地域での一戸建て住宅で、売り出されたのは計53戸。ほぼ完売し、住民の約4割が東京から移住してきた若い世代だという。

 人の誘致をいち早く掲げた伊達市は、住みやすいまちづくりに力点を置いた。移住者の多くが高齢者なので、「コンパクトなまち」を強く意識したのである。もともと伊達市の市街地は、北海道では珍しいほどこじんまりとしていた。周辺に優良農地が多く、開発しにくかったという事情もあった。

仙台藩一門が集団移住し
当主自らが切り拓いた伊達市

 明治初期に仙台藩一門の亘理伊達家の当主や家臣らが北海道に集団移住し、開墾してつくりあげたのが今の伊達地域だった。仙台藩は戊辰戦争に敗れ、明治新政府により62万石から28万石に減封された。亘理領主だった伊達邦成も知行を大幅削減され、家臣を養うことが不可能となった。

 当時、20代後半の青年だった伊達邦成は、自ら家臣団を率いて北海道に移住することを決意したのである。1870年に第1陣250人が北海道有珠郡に足を踏み入れた。藩主自らも農具を握り、荒地を切り開いていったのである。144年前に移住者がゼロから始めたまちづくりによって北海道伊達市は誕生したのである。そんな歴史を持った都市だった。

 周囲を優良農地に囲まれた伊達市は、市役所や病院や学校、銀行、消防署、ショッピングセンターなどが2キロほどの中心部に集まっていた。生活に欠かせぬ各種の施設が、歩いて行ける範囲内にまとまっていたのである。

 伊達市はこうした町の特性を大事に守り続けるだけではなく、さらに高める施策を重ねた。老朽化した公共施設の建て替えを中心部で行い、施設が郊外に分散することを避けたのである。