期待していた社員の退社で
お風呂で号泣
社員教育を始めて4年も経つと、新しい人が入り、組織として少しずつまとまってきました。
ただし、統率されているけれど柔軟性がない組織になってしまい、社員はリラックスして働けなくなりました。社員は厳しいルールを押しつけられたことに不満を持ち、ストレスを感じるようになってしまったのです。
それでまた社員が辞めていきました。
最初の4年とは違って、まじめに働いていた社員が辞めていったのです。
これには正直、まいりました。
「いい会社にするから、一緒にやっていこうよ。がんばっていこうよ」
と説得しても、
「悪いけど、この会社の未来が見えない」
「自分の将来像が描けません」
「ここにいても自分の将来がよくなるとは思えません」
などと言って、期待していた若手社員が会社を去りました。
現状の給与への不満。待遇への不満。
でも、根っこには私に対する信頼のなさがありました。
いくら私が、
「必ずいい会社にするから。私を信じてついてきてよ!」
と言っても、信じてもらえない。
若いこと、女であること、代表権を持っていないことなど、理由はいろいろ。
「くそう。私は会社をよくするって言っているのに、全然できてないよ」
そういう日は、悔しくて、悔しくて、自宅のお風呂で激しく泣き続けました。
本社ビルで飯が食える!
平均年齢が55歳から35歳に
この12年間で会社も社員も大きく変わりました。
自分たちでやるべきことを考えられるようになり、行動計画もつくれるようになりました。
徐々にではありますが、プライドを持って仕事に取り組み、徐々に創意工夫ができるようになっています。
社員の成長に合わせて、当社は3~4年前から、少しずつ新しい制度を整備しました。福利厚生の見直し、職務職能評価制度の制定、給与の見直しなど、さまざまな制度を充実させました。
「必ずいい会社にするから。私を信じてついてきてよ!」
という社員との約束を少しずつ実行できるようになりました。
本社ビルも新しくしました。
社長になったばかりの頃、辞めていった社員の代わりにいい人材を採用するためにはイメージアップが大切だと考え、父に本社ビルの立て替えを頼みました。父は、
「本社ビルが立派でも稼ぎにならん。本社ビルじゃ飯は食えないし!」
と、あっさり否定しました。
でも、私は食い下がりました。
「汚い本社ビルのままでは優秀な人材は集まりません。
なぜなら就職希望者は就職先をイメージで決めているから。
ただでさえ『産廃屋になんか就職したくない』と思う人が多いのですから、努力してイメージアップを図らなくては!」
きれいな本社ビルがあれば、採用時に応募者数が増え、質の高い人を雇用できるようになるでしょう。
その中には、会社の改革に理解を示し、協力してくれる人が必ずいます。
ですから、長期的に見れば、本社ビルで飯が食えるようになるのです。
念願かなったのは2006年。石坂産業の新社屋が完成したのです。
すると、多くの人が応募してくれるようになりました。できるだけ若い社員を採用するようになり、その結果、社員の平均年齢が55歳から35歳に引き下がりました。